ちょっとしたホラー




便所に行こうと思って廊下を歩いていると、ちょうど丑三つ時にはおあつらえ向きに、黒い足先がにゅっと廊下に転がっていた。

開け放たれた障子に挟まれるようにして足先だけを出している男は、ちょっとしたホラーを期待したこちらが、拍子抜けするような間の抜けたイビキをたてているけれど、まぁその姿だけは行き倒れた人のようだったので期待の許容範囲だと思い、彼をほったらかして俺は、まず先に、足す用をたっした。
帰り、再び、彼の部屋の前。
ビビリの山崎(あるいはもっとビビリの某H氏)あたりがチビルといけねェので、俺はなけなしの親切心でそのちょっとしたホラーを局長室に押し込めることにする。
脇に手を入れて引きずると、思いの外、彼の巨体(今はとりわけ巨体に感じる!)は重く、カヨワイ俺はほとほと疲れ果ててしまった。
スカーフをとり靴下を引っぺがし、それらを部屋の隅にぽぉんと放り投げた親切な俺は、さらに親切なことに掛け布団を彼の腹の辺りに乗せた。

(今夜も暑いだろうからこれで十分なはずでィ)

我ながら、こんな親切な男は世に二人と居ねェに違ぇねェ。と思う。

あれだけ引っ張ったり引っぺがしたりしたのに起きる気配を全く見せない近藤さんを見て、

(倒れて後已む)

の慣用句を思い出した。


そこで急に眠くなった(正式に言えば遣る瀬無くなった)ので近藤さんの横に倒れる。
着の身着のままの野垂れ死ぬような姿で、あと一歩部屋に入って障子をしめる元気すら無いほど疲れきって、昏睡している近藤さん。
別段酒臭くも無い事実が俺を少し悲しくさせた。

耳を澄ますと近藤さんの寝息の他に、近藤さんをこんなにした元凶が、目の下に泣く子も黙る恐怖のクマを作って、雑務に追われている音が聞こえてきそうで、思わず

「酷ェもんだ」

と口から溜息が出た。苛立ちを含んで煙草が煙る音まで聞こえてきそうだ。


昔 ―遣る瀬無い俺にはもう昔の事を思い出すしか心のやりようがない―

それほど遠くも無く、けれども果てしなく遠い、昔、

正確には真選組結成当時、


一度だけ、近藤さんが、臆し、戸惑い、立ち尽くしたことがあった。


はっきりしたことは今となってはもう覚えていない。
確か初めて攘夷浪士を大量検挙した日のことだったように思う。

それはとても、それこそ遣る瀬無い気持ちにさせられる、出来事だった。
俺は今でもあん時の悔しさをはっきり覚えている。
(いやきっと俺だけじゃネェ。あの日あの場に居合わせた連中はきっと皆忘れていない)

あの日あの時、ある天人が、ライフルを撃った。
真選組と攘夷浪士が乱れ合う混戦のど真ん中にだ。
一発目の弾は攘夷浪士の腕をかすめた。
二発目の弾は近くにあった樹木にめりこんだ。

そこで騒然となった。

俺が覚えている限り銃弾は5発は飛んできたはずだ。

そのうち一発ぐらいはもしかしたら俺たちのうち誰かに当たったかも知れネェが、怒る記憶ばかりがやけに鮮明かつ強烈であまり詳しくは覚えていない。

危ういところで松平の旦那たちが止めてくれたからそれ以上はなかったが・・・


あの日あの時あの場で、近藤さんは、俺が知る限り最初で最後の、後ろ向きな姿勢を取った。
無理もない、俺たちを養い、立ち直らせるためにやっと手に入れた"真選組"の始まりの日と言っても過言ではない日だったのだ。




首だけを横にして近藤さんの顔を見る。
目の下にクマがある。昨夜は帰ってこなかったからきっとこの人も寝てなかったに違いねェ。




立ち尽くす近藤さんを見て、俺もつられて呆然としたことを覚えている。(それでも人は切ったが)

(今なら引き返せる)

とかなんとかそう思ったんじゃなかろうか・・・
このお人好しは。




そっと手を伸ばして近藤さんの無精髭に触れる。
整えられた顎鬚に対してそれはあまりに無防備で、それでいて少し憐れに見えた。





「振り向くな!!」

そんな近藤さんを叱咤したのは他でもない土方さんだった。

「振り向くな!後ろを向くな!!」

あの男は近藤さんの背に自分の背をあわしてそう言った。

「アンタが大将だ!近藤さん、アンタが大将なんだ。これからの、俺たちの、真選組の大将はアンタなんだ。だから・・・」

何て言うか、土方さんって人は、なんて憎憎しい人なんだろう。

「前向けよ。前だけ見ろ。前だけ見てれば後ろは俺が、俺たちが、何とかしてやる」





(アンタのせいで近藤さんはこんなになっちまったんでィ)




あの日から近藤さんは後ろを見ない。
気持ち悪ィぐれぇのポジティブスィンキングで、前ばかり見ている。
ぶっ倒れるまで全力で走っている。

ぶっ倒れたら俺たちが何とかしてくれると本気で思ってやがるのだ。


「バーカ近藤さんのカーバ。バーカ土方さんの・・・」

土方さんの

「ブゥワァーカ。スケベ。変態。性悪。根暗。ヘタレ。瞳孔開き気味。短気。ビビリ・・・バーカバーカバーーカ」


仰向けになって暗い天井を見つめる
。 月光が僅かに刺し込む夜の夜中の部屋は、近藤さんの平和そうないびきが響き渡っているというのにやけに静かだ。

そっと近藤さんの手を取る。

指を絡ませるようにして、手を繋ぐと、思ったとおり温かい。

そっとその手に顔を寄せた。


ズルイ。
ズリィや、土方さんばかり。

「ねぇ近藤さん」

俺だって俺だってちゃんとアンタに信頼されたい。

「お前の事だってちゃんと頼りにしてるぞ」なんて、
近藤さんは言うだろうけど、そういうことじゃねェんだ。


「俺だってちゃんと近藤さんと・・・」
憎らしいけどもう一人

守って

守って見せるカラ。

だからこんな中途半端なホラーごっこはやめて下せェ。

部屋までギリギリ辿り着けずに野垂れ死ぬ真似事とか、あちらさんも真っ青の目の下のクマとか、丑三つ時に盛んに活動するとかそういうの止めて下せェ。
(近藤さんも土方さんも)


こんな無防備な姿さらして寝散らかすまで働くなんざァどうかしてまさァ。


襲っちまいますぜ、近藤さん。




ねぇ近藤さん










 

戻る

うわー大好きだ近藤さん!!(必死)

真選組結成当時過去捏造。

理不尽な思いを数え切れないほどしている気がする真選組