水が、透明だったので
「あーこりゃ大分ストレス溜まってまさぁ〜」
給湯室の冷蔵庫をあけて冷たい水を出し、喉をならしてそいつを飲み干しながら、俺はなんとなく調子の悪い胃の辺りをさする。先程から胃やら胸やらがムカムカするのは、断じて馬鈴薯揚煎を3袋も食べたからでは無く、ミントン以外に能のない使えない部下だとか、根暗でムッツリで性悪の上司だとかのせいで覚える多大なストレスの為であって、繊細な俺の神経はホトホトか細く疲れきってしまっているので、こういう時はとにもかくにも水を飲まなければならないのだ。
「有給獲ってバカンスとしゃれこむかねぇ」
渇いていた喉が潤ったのを満足に思いながら、ペットボトルを置き、バカンスにお誘いしたい愛しいあの人の顔を思い浮かべて不意にハッとなる。
聞き覚えのある声が微かに聞こえてきたからだった。
屯所の端くれにあるこの給湯室の横には、公用で使われる事のない小部屋があって、ここはいつも人気がないけれど、人が居ないことはそうない。つまりまぁこの部屋は男だらけの素敵な共同生活に疲れて、一人になりたい時に、各々がちょっとほっとしたり人には言えないことをしたりする場所なのだ。
その部屋から近藤さんの声がする。
胸が痛んで、また、口の中が渇いたような気になった。
耳を澄ます。(本当はそんなことしなくたって近藤さんが何をしているか知っている)
近藤さんには自分の部屋があるんだからこんなはずれで一人でやることはたった一つ。
しかも、覗いた所でムフフともなんとも思わない、そういう行動だ。(ムフフなことならとっくに参加してるってもんでさぁー)
「なんでィちょっとイライラするや」
そっと息を殺して閉じられた扉にもたれかかるようにしてしゃがみ込む。
本当は「あー」とか「わー」とか叫びたい心境だった。
(あと、屯所中のミントンの羽をむしって副長室にばら撒いたり、公園のガキんちょと大人気なく遊んだり、そういうことしてぇ感じだ。)
耳を澄ます。
心を尖らせる。
胸が焼けるのはどうやら近藤さんと自分が強く強くつながっていて、あの人の胸のモヤモヤを感じとったからだ。と、我ながら詩的な物思いに感心して、また、喉が渇いて、立ち上がり冷蔵庫をあける。
今度はコップをだそうと扉に背を向けて手を伸ばした瞬間に、背後のドアが開いて、俺はギョッとしてしまって振り向いた。
とたん
瞼をはらした間抜け面と目が合う。
近藤さんのとても見事なギョっとした面はとってもかわいらしいと思った。
「水?飲みます?」
「あああ、ああ、うん。あ、いや、ああ、まぁ、うん」
くるり
背を向ける近藤さん。
少し可笑しくなって俺はコップに水をつぐと、近藤さんの背を押すようにして、部屋の中に入った。
悲しいことがあったのか、悔しいことがあったのか、それは俺にはわからない。
ただ、近藤さんがここであんな風にひっそりと泣くときは、女に振られた時ではけしてないことを俺たちは皆知っている。
「はい、水」
「おお、悪いな」
「悪かねーでしょ。水だもの。色も匂いもついてない、飲んだところで酔いもしない、ありのままの液体でさぁ」
それをまた一気に飲んで俺は隣でしゃがみ込む人の横顔を見つめた。
照れているのか落ち込んでいるのか伏目がちに掌に握ったありのままの液体を見つめている。
あれがありのままの近藤さんを呼び覚まし、ありのままの自分に勇気をくれたらいい。
「今日は馬鈴薯揚煎を3袋も食っちまいまして、どうも胸やけがするなぁと思ってたんですが・・・」
「それはスゴイな・・・」
「どうやら近藤さんが落ち込んでるのが原因だったみたいでサァ」
「え?」
「近藤さんと俺、強く強く繋がってるから、近藤さんの胸がキュウキュウ痛めば俺の胸もムカムカするってもんです。どうでしょういっそのこと結婚しちまいませんか?」
「ええ?!」
「ダメですか?」
「エェェェェ!!総悟くんなんか色々飛ばしてない?大事なことなんか色々・・・」
ねぇ。
俺は、真剣ですよ。
「俺、近藤さんのこと絶対幸せにする。って誓えますぜィ」
「しかも俺が嫁ェェ??」
散々騒ぎ立てて近藤さん、不意に、真顔に戻る。
「総悟。ありがとう」
「それじゃァ誓いのチッスを」
「いやいやいや結婚はお断りだから!!」
「ちぇッ」
「ちぇッじゃないでしょ〜総悟君」とのたまう近藤さんを無視して俺は、ありのままの液体が胃に辿り着いたようだったので、傍目にはとっても急に、俺の中では勇気を振り絞って、コップを置いて近藤さんの顔に抱きついた。
「総悟」
というくぐもった声。
「酷ぇや近藤さん。断るなんて」
「そうご・・・」
「ねぇ、聞いて下せェ近藤さん。今日は塩分をたんと摂った上に水を1.5リットルは飲んだので外に出さなきゃいけねェんです。知ってました?人間一回に摂取できる水分は500ミリリットルらしいですよ。大分だせます俺は、塩水。はーとぶれいくしたし」
「俺はちょっとナトリウムが足りなくなるかもしれん」
「ぽてち余ってるからあげまさァ。サービスですぜ」
「おお、そりゃ安心だな」
ぎゅっとすると、ちょっとだけ困ったようなそれでいてホッとしたような気配があって、俺は午後の陽だまりをなぜだか思い出したりした。
ああ、記憶の中に断片的に存在する近藤さんの胸の匂いは、いつも太陽を浴びた布団みてぇで懐かしい。
自分から同じようなものが漂うとは思えないけれど、俺たちは強く強く繋がっていてそれでいて水を沢山飲んだので、さめざめとこの人が泣き出した時には、嬉しいような、悲しいような、役に立ってるのか不安なような気持ちになって、それでも陽だまりを思って、近藤さんの頭に頬をのせ、
(髪がささって痛い)
とかそういうことを考えた。
ありのままに