叫び声を上げて目を覚ました。
体中に嫌な汗をかいている。

4:30am




アイマスクを外して、上半身を起こした沖田は、とりあえず落ち着こうと深呼吸をした。
アレは夢だ。確かに夢だ。そう心で呟いて、自分が布団の中にいる事を確認する。
大丈夫。ここは畳の匂いがする屯所の部屋で、腕にきっちりと巻かれた包帯は白いまま。
何もビビる事はねェ。
間違いなく沖田は今、布団の上にいるし、そしてここはこの世だ。
なんて馬鹿げた確認をした。
自分でも、解っている。だけど、馬鹿馬鹿しくたって仕方ねぇし。
電気をつけながら、沖田は溜息をついた。

時計を見る。4時30分だった。

もう一度寝直すべきかと、少し思案した。
別にこんな早朝にやることも無い。
誰かさんを呪うには、少し遅すぎる。
そこまで思って、沖田は、自分の思考が、自分で思っていたよりも、普段通りで健全なことに気づく。少し安心した。

けれども、沖田は、起こした上半身を倒さない。

なにげなく見つめる視線の先で、沖田の指先は震えていて、手を握ってみても、うまく力が入らなかった。実を言えば、ここのところずっとこんな調子で、寝不足気味なのだ。沖田の体の奥と頭の芯は、「眠い」と言っている。それを本人も感じていたが、おそらく、どんなにアイマスクで世界を覆ってももう一睡もできないだろう。

「不甲斐無ェやなァ」

目を瞑れば、すぐにでも、怖い夢の続きを見るような気がした。
何度も何度も、気が済むまで。気が狂うまで。
恐怖が心の底に張り付いて澱んでいる。
さすがにこの調子ではいけないと思って、ほんの数時間前に、あの人の温かさ、ちゃんと確認してから寝たっていうのに。

また、あの人を失う夢を見た。

伊藤の死が、自分の中で、思いがけず大きなものになっている。
死の間際の彼の顔は、なかなかに美しいものだったのに。
「だからこそ、余計にかもな」
呟いた沖田の指先は、まだ、震えていた。

布団の中で、ぼーとすればするほど思考がマイナスになることを経験済みだった沖田は、とりあえず厠にでも行こうと立ち上がった。
雨戸を引いて、外の様子を確かめる。もう、遠く東の空が、白みはじめていた。
静まりかえった廊下を渡る。裸足の足の裏がペタペタした。
まだ、指先はかすかに震えている。
「大丈夫。あれは、悪い夢だ。近藤さんはちゃんと生きてる」
もう一度、言い聞かす。今度は声にだしてみた。

(でも、今回ばかりは正直キツかった)


あの事件から帰って来て以来、沖田は、何度も肝を冷やした情景を思い浮かべては、その事について考えていた。考えても仕方ない。ということぐらい、とっくにわかっていた。こんな事考えたって、何の意味も無い。だけど、沖田は考えてしまう。

いっそ徹底的に考え抜いて、その要因を端から全部洗い出したら納得いくってェのかね俺は。

あの男が居なければ、そもそもあんな目にあわずにすんだのだろうけど、あの男がいなければ蜂の巣になったのは近藤さんかも知れなかった。
片腕の男と崖にダイブして心中の可能性だって。
最悪なのは、あの人の大事な、隊士に、殺されたかも知れないってことだ。 もちろんそんな事絶対にさせねェけれど。
だけど、裏切りが起こったのは事実で、近藤さんの命狙われたのも事実で、そんであの人が何度も死にそうになったのも事実。

「それでも、あの人が、今、ちゃんと生きて、息してる事だって事実だ」

それも確かなことなのに、そう言った沖田の声は、自分でもビックリするほど弱々しい。
ギュッと唇を噛んで、沖田は顔を上げた。

ダメだダメだダメだ。
こんなこと考えたって、何の特にもなりゃしねェ。
第一湿っぽいのは俺の性じゃねェ。
キッと前を睨みつけると、目の端に、幻覚か、愛しい人の背が見えた。

(俺もとうとうヤキがまわったかねェ)

厠ではない方向に、近藤の背は消えていき、沖田は、恐怖も忘れて突っ立ち、そしてだるそうに頭を掻いた。指先の震えは止まっていた。
ヤキがまわったかもしれなかった。



***



とりあえず厠に行った後、沖田は、道場に向かった。
確信は無いが予感がする。昔から、踏ん切りのつかない事があると、剣を振る。
それしか俺たちには無いから。

だから、きっと近藤さんは(あれが幻覚でないとしたら)道場に居る。

そう思って、沖田は、そっと気配を消して中を覗き込んだ。
ドンピシャでィ。
道場の真ん中で近藤は正座をしていた。

ああ、本気なんだな近藤さん。

気迫すら漂う近藤の、スッと伸びた背筋。そんな背中を見るのは久しぶりだった。
邪魔しないように、極力気配を消して、沖田は、道場に入った。
礼をして、近藤が立ち上がる。
竹刀を振りかぶり、右足と共に打ち下ろされる。

いつ見ても、綺麗なもんだ。

沖田は、近藤の背がよく見える壁際まで、這うようにして移動すると、壁にもたれて足を三角に折った。膝を抱えて座る。子供に戻った気分だった。
あの何もかもに拗ねていた子供の頃に。

振り上げられ、打ち下ろされる近藤の竹刀。
何度も。力強く。1本1本気合を入れて。
膝に顎をのせて、少しまどろむ。
近藤の発する低い声が、沖田の心に優しかった。

あんな風になりたいって思ったのはいつだったっけなァ。

あの頃もこんな風に膝を抱えて、彼を見ていた。彼の背を。

やがて近藤の額に汗がにじんで、飛び散る。
沖田は、空を切る音がする近藤の力強い竹刀捌きが好きだ。
丸太だって軽々だった。

ふと、近藤の剣が止まった。
汗を拭い、彼が、振り返る。

「おはよう総悟」

「おはようごぜーます」

それだけ言うと、近藤はまた沖田に背を向ける。
今度はもう少し、大きな動きになってまた竹刀が上下した。


あの眼鏡も、もっと早く、この人のこの背中見てたとしたら、違った人生を歩んだかも知れねェな。
この人の人の善さは、誰にでもわかり過ぎるくらいわかり易いけれど、この人の本当の凄さは、その反面、わかり難くて。
わかる奴にだけわかりゃイイ。つーか、出来たらあんまりわかって欲しくない。と、本当は思っている。近藤さんの魅力は癖になる。特に孤独だった人間にはヤバイ程よく効くのだ。だから出来れば、みんな近藤さんの事を馬鹿だと思っててくれりゃいい。

沖田は、躍動している近藤の背に視線を戻した。何かを振り払うかのようにも見える反復運動。キュッとしていてリンとしていて、でも叫びだしたいような切なさに溢れている近藤の背中。


「ねぇ、近藤さん。近藤さんが、そんなにも悲しいのは、あの眼鏡のせいですかィ?」


野暮だってわかっていたが、沖田は、聞かずにはいられなくなった。
近藤さんだし。

振り上げられた竹刀の先が、ビクリと震えた。でも、直ぐに、振り下ろされる。真っ直ぐに力強く。
わかり易いお人だなァ。
沖田は、無性にホッとして、そして、ついうかうかと質問を重ねた。
声に出す瞬間に、自分が少し緊張しているのに気づいた。




「それとも、俺のせい?」




今度は、構えの姿勢のまま、近藤そのものが、瞬きの間、じっと止まった。
何も、答えずに、振り上げられて振り下ろされる竹刀が、ブンと音をたてた。
膝の高さで、ピタリと止まった剣に何の迷いも見られ無いけれど、近藤はもう竹刀を上げない。




「お前なぁ」

結構な沈黙があって、鳥のさえずりが聞こえて、ちょっと眠たくなって、膝に顎を置いたまま待っている沖田にようやく届いたのは、近藤の呆れた声。
稽古再開、一振り二振り三振り。


「そんな難しい事聞くな」


名前無しでお前って言われた。


「だって、近藤勲ともあろう男が、4時間しか寝ないなんて」

「総悟だけには言われたくないですゥ」



近藤は竹刀を、今度は斜めに振り下ろして、刺突する。

「まぁ、どうしてもっていうなら、隠す事でもないが」

切って、

「俺の睡眠を妨害している男が居るとしたら、そいつは」

突く。

「近藤勲って名前なんだろうな」


「あーあ」


「なんだよ「あーあ」って」
「ずりィ」
「?」
「そんなのずりィでさァ」

顔をちゃんとあげて、抗議した。近藤はようやく振り返り、キョトンとした顔で、むくれっ面の沖田を見た。そして、大声で笑った。

「知るか」

また、沖田に背をむけて稽古が再会される。
なんだ。元気なんじゃねーか。
腹立たしい程のあっけらかんとした明るさ。悲しい癖に。


「たまには、俺だって、飛び越えたかったのに

溝、つくってくれなくっちゃぁ


「・・・バーカ」

近藤はもう振り返らない。

「近藤さん、俺マジだったんですぜィ。なのにバカはねェでさァ。こうなったらいざ尋常に」

沖田は、立ち上がった。悔しいことに元気になっている。

「あ、ごめん。それはヤメテ」
「武士道とは死ぬ事とみつけなさいよ」
「エエエッッ!!俺、そこまでされんの??!」
「じゃァ、負けた方は勝った方の言う事なんでも聞くっつー事で」
「「つー事で」じゃねーよッ!!なんですでに勝負する事になってんノォォ!」

顔がニヤつくのを抑えられない。

「ホラ、な、お前、怪我人だろ?」
「大丈夫でさァ。片腕1本ありゃァ」
「エエエッ!!総悟君今何気に酷い事言わなかった??何今の。傷ついちゃう。溝出来ちゃう」
「どーぞ」
「ちょっと、どーぞって総悟・・・しかも、それ、真剣?」
ニヤリ

「ぎゃーやめてェ!!死ぬゥゥ。オッサンてのはねぇ傷つきやすい生き物なんだから大事に扱わなきゃだめなんだぞォォ」


この人は悲しいけれど、元気だ。
傷ついているけれど、タフだ。
お人好しだけど、強い男だ。


悲しみを残したまま、もう、次の一歩を踏み出している。

やっと、少しは追いついた。て、思ったのに。
これじゃあうかうかしていられない。

まいっちまうなァ







 

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