近藤勲の1%(下)


真夜中

新鮮な空気と一緒にありありとした気配が部屋に滑り込んできた。

静かに襖が閉まる音がする。


土方は振り向いた。
そろそろ沖田が来る頃だろう。と、予想していた土方は、振り向いただけで特に声をかけることも無く、盆の上に杯の類を片付けて、立ち上がろうとした。
気配をちっとも消していない沖田の様子に不自然さを感じたが、それも今は問うべきではないことを知っていた。

今回ばかりは、二人きりにしてやるべきだろう。

救護班が駆けつけた時、沖田は、他人にもそれと分かるほど青い顔をしていた。
そういう報告をうけている。



常に近藤が決断する現場に居合わせている自分に比べたら、意外なことに、沖田がそういう場面に遭遇する事は極端に少ない。 特に近藤が命を投げ出す場には、ほとんど居合わせた事が無かったと言っても過言では無い。

きっと総悟の奴、近藤さんに例のあの声で名を呼ばれたのだろう。

あの声は、正直キツイ。


土方は思い出して小さく身震いした。


覚悟を決めた近藤の声。
お前だけが頼りだという信頼を多分に含んだしかし容赦の無い声。


従うより他無いと思い知らされる。
自分の無力さを知る。
自分の願いに反してしかし彼を裏切ることの出来ない二律背反。



酒瓶と、杯を一つ残して、土方は立ち上がる。
俯いている沖田の横を無言で通り過ぎた。





「土方さん」





襖を開けた時、思いもよらない小さな声がした。
沖田が土方を呼んだのだ。


「なんだ?」


少し驚き、間を空けて返事をした土方の口から、優しい声が出た。それは心外なことに。



「そっちに座ってて下せェ」



「・・・あ、ああ」



今夜の沖田はおかしいということを、その一言で土方ははっきりと悟った。
明日は雪か槍だなどと思い、何度も沖田の顔を見て、けれど土方は言われた通り、先程まで座っていた場所に腰を降ろした。




その向かいに沖田は座る。
沖田はとりあえず酒を飲んだ。




長い沈黙が落ちた。
近藤の規則正しい寝息が部屋を静かに満たしている。








「俺は、自分の心にあんなにも不正直だったのは、生まれて初めてなんです」

唐突に沖田はそう言った。

「だろうな」

土方は、沖田が自分を真っ直ぐに見つめてきた事に内心戸惑い、しかしそこは大人の見栄で、それを気取られないように頷いてみせる。


土方の知る限り、沖田総悟の世界は単純だ。
この、ちょっと見には難解極まりない少年は、ごちゃごちゃといらないことを考えなければ何一つ動けない自分たち大人とは違って、シンプルに生きているように見える。
食べたければ食べる。欲しいものには手を伸ばす。正しいと思うことは実行する。

そしてそのシンプルな世界の骨子は、大切=近藤さん。という極めてシンプルなものなのだ。
価値観も欲望も、沖田の場合すべてが近藤に起因しているように見える。下手すれば感情も。

土方には、それが時に恐ろしく、時に激しく羨ましい。



その沖田が、近藤の頼みを断れなかった。その命に関わると知りながら。


「あの時俺は、これくらいの怪我なら近藤さんは直ぐには死なねェって判断しやした。でも、それは、言い訳のようにも思います」


言いたいことはよくわかる。
不本意な行動を自分の中で認めるには、言い訳がいる。


「俺は、じゃあ、あの時の近藤さんが、近藤さんの願いを聞いたら死んじまうような怪我を負ってたら、俺は断れるのか、あの人の命を守れるのかって考えたら・・・」



沖田の混乱は言葉になって表れ、答えも、答えが出ないという答えも言葉を無くすことによって表れた。
沖田は、近藤を起こさないでおこうと、声を押し殺している。
しかしその押し殺された小さな声にも戸惑いが滲んでいた。

「大人になるってことは、面倒なことだな」


と、言ったら睨み付けられた。
そうそう、その顔、その顔がお前だよ。

土方はフンと鼻で笑ってやる。



「アンタなら・・」という問いかけが無駄な事を知っているのだろう。
沖田はただ黙って、また酒を、杯になみなみ注いだ酒を仰いだ。
懸命な判断だと土方は思う。

土方は着物の袂から煙草を取り出し、銜える。


二人の間で、近藤は深い眠りに落ちている。
怪我はやはりかなりの重傷で、しばらくは絶対安静だ。


しかし近藤が怪我をしてでも相手を生かしておいたので、これで組織は壊滅するだろう。
いや、絶対壊滅させる。と、土方は闘志に燃えていた。


力が同等なら、殺すつもりでやらなければ殺される。
それを分かっていてしかし近藤は生かすことを考えた。

半分は、仕事のため。
半分は近藤の性分だ(実際には半分以上が性分だと思うがそれを言っちゃァ)。



そういう男を大将に選んだのは俺たちだ。
そういう男だから俺たちみたいなのが心底慕える。
どこまでも着いていける。



「今夜は隣で寝てやれ」


言うと、沖田が、まだ迷いに満ちた目で土方を見つめてきた。

今日の沖田は、本当に妙だ。



かって土方も同じ悩みを抱いた。
しかし、やがてそれには答えが無いことに気づいた。
自分の、何を置いても近藤を守りたい。という気持ちは変えられない。
けれど、近藤の、強靭な覚悟も、揺ぎ無い眼差しも、やはり絶対に変えれない。


どちらも譲れないなら、どちらも損なわないやり方を考えるしかない。


沖田の世界はシンプルだ。
それ故、きっとこの少年は、あるいは自分よりも早く答えの無い答えを見つけるだろう。


煙草に火をつけ、フゥゥーと長い煙を吐き出す。
沖田が今夜初めて不愉快をはっきり顔に表した。

「怪我に触ったらどうすんですか?」

「関係ないだろ」

「アンタの煙は邪だから傷にしみる気がする」
「うるせェ、お前に言われたかねェよ」


土方はもう一服すると、今度こそ立ちあがった。

沖田が無言でいるので、盆を持って部屋を立ち去る。

襖を開けた時


「おやすみなせェ」


という小さな声が聞こえた。

土方はまたフンと鼻で笑った。

不思議に温かい心地だった。







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ありがとうは素直にいえない総悟
おやすみなさいも素直に言えないトシ