波のらずジミー



体の奥深いところからトロリと溶け出してしまいそうな疲労感に、ハンドルを握る山崎は大きな欠伸をした。
緩やかに蛇行しながら、海岸沿いを伸びる国道は、もうしばらくの間信号も無い。
時速80キロ。銀色の公用車は、静かな夜を走り抜けていく。
山崎は50m先を走る、緑色の軽自動車のバックライトを見つめながらまた欠伸した。
助手席側、山崎の視界の左半分をしめる海は、広く静やかだった。
凪いだ水面が月明かりを受けてキラキラと光っている。対向車線を走る車のヘッドライトが近付いては消え、近付いては消え、風を切る音だけを残して、過ぎ去っていった。

(暗い道でも緑色の車って、案外綺麗に緑なんだな)

どうでもいい事ばかり、頭に浮かぶのは、恐らく疲労のせいだろう。一日中浴びた太陽の熱が溜まっているからだろうか、体中がやけに火照っていた。焼けた腕や、首の後ろがヒリヒリと痛い。
風が強く吹き込んできて、山崎の髪をかきあげた。山崎は少し目を細めて、それからちらりと隣に座る男を見た。
クーラーをつけているのだから閉めてくれと言っているのに、一向に閉められる様子の無い全開の窓から、吹き込んでくる風は、潮の匂いがする。寄せては返す波の音は小さく、夜の空気はあくまでも静かだった。
遠慮がちにかけられたCDの音楽にあわせて、助手席に座る近藤は、鼻歌を歌っていた。視線は海の方に向いているので、その表情はよくわからないけれど、眠たそうな目をしているだろう事は想像出来た。鼻歌を歌っているのだから機嫌はいいはずだ。
さっきまでありえないハイテンションで歌ったり、叫んだり、飛んだりしていたのが嘘みたいだと山崎は思った。ベタベタする体と、山崎と近藤が着ている色違いのTシャツを、心の中で、もう何度も確認している。文字通り夢のような時間だった。

「近藤さん暑くないんですか?」

「おう。夜風が気持ちいいぞ。お前も諦めて窓開けたらいいのに」

山崎の方を向いた近藤の前髪が風で揺れている。
茶目っ気たっぷりな光を湛えた目を、細められて、山崎は少しドキリとした。


「潮風ってベタベタしません?」

思わず、そんな言葉を言ってしまうのは恥ずかしさからだった。

「もうすでにベタベタだもん」

近藤が口の端をニヤリと吊り上げたのが目の端に映った。

「そう言われたら身も蓋も無いですケド」

クスリと笑みをこぼして、近藤の視線が海に戻る。
そんなにも海ばかり見ていて飽きないのかな?ととっさ山崎が思ったのもきっと、近藤の笑みが悔しかったからに違いなかった。でも、なんとなく意地を張るのが馬鹿らしくなって、山崎は窓を開けた。
パワーウィンドウがかすかな音をたてて、潮風がなだれ込んでくる。
風が山崎の頬をなでた。汗でべたつく頬を、首筋を。嗅ぎなれない匂いは、絵に描いたような夏の匂いだ。
山崎はついに観念すると、エアコンを切って、CDのボリュームを上げた。

カーステレオから今年で活動休止を宣言した大物アーティストの歌声が響く。
夏が似合うバンドだった。


「格好良かったなぁ」


CDから聞こえるシャウトの後に近藤が、感慨深い声でそう言った。山崎も頷いた。
つい数時間前に見たばかりの、雄姿を思い出す。高いテンションと気取らない歌声と爽快で気持ちのいい演奏と、客を酔わすライブだった。夕焼けが辺り一体を綺麗に染めたうってつけの時間帯。きっとこの夏のライブを思い出す度にあのステージを思うんだろうな。
気がつくと、山崎も、CDにあわせて歌を口ずさんでいた。


山崎と近藤は、今日、二人で休みをとって、夏フェスと呼ばれる野外ライブを観賞しに行ったのだ。
その帰り道だった。時刻は間も無く深夜だ。

どうしてこんな事になったのかは山崎も知らない。ただ知っている事は、寺門通が近藤宛にチケットを送ってくれたということだった。
お通ちゃんに招待された夏フェスのチケットが自分に回ってきたのは、なにか奇跡の一種だと山崎は思っている。
二人っきりで行く事になったのは、お妙さんを誘った挙句玉砕、チケットを2枚分捕られたからで。通常なら、チケットが残り2枚になった時点で、H氏とO氏による血で血を洗う争いが展開されてもおかしくなかったのに、その双方が、お通ちゃんという名前を聞いた時点で、参加する権利を放棄したのだ(という経緯がもう奇跡そのものだ)。
そんな事を知らない山崎は、たまたま近藤と会話する機会があった時に、偶然道であった新八が、今年はお通ちゃんから夏フェスの招待券が来たという一種のノロケ話をされた。という話を近藤にした。その時点で深い意味は無かった。ただの世間話のつもりで。

「なんかそういう夏のイベントって俺たち無縁ですよね〜」


溜息をついたのは夏休みをくれというアピールであり嫌味だった。
始終ニヤニヤしながら話を聞く近藤に不審を覚えていたが、話を聞き終えた後、近藤の懐から、まさかその例の夏フェスのチケットが出てくるとは。

「何ですかそれ?自慢?」

「なんだよ山崎素直じゃないなー。一緒に行かね?」

「は?一緒に?二人で?」

あからさまに不審な顔をしていたらしい。目の前で近藤が眉をハノ字に下げて「嫌か?」と聞く。

「や、嫌なわけないじゃないですか!」

その時は、近藤の悲しそうな顔に驚いたのもあって即答したけれど、その後山崎は正直少し後悔した。なぜって近藤と二人きり。いわゆるデートだ(返事をした後で知ったのだが2人はチケットが2枚しか無かった事を知らなかったのだ!)。妨害の可能性は120%。つまり屯所中を敵に回したようなもんで。
しかも近藤が唇に手をあてて、「じゃ、当日まで秘密な」と言ったもんだから、なんだか妙にソワソワしてしまって、本当にしんどかった。山崎自身、秘密とか二人きりとか得意じゃない事を自覚している。
それでも、どうにか当日にこぎつけたのは、バレれば即命の危険というマイナス面と、いつかそんな夏のイベントを楽しんでみたい。という願いが叶うまたとないチャンスが嬉しかったためだった。




「楽しかったですねェ」

今日にこぎつけるまでの、なかなかに苦しかった日々を思い出したせいか、山崎の口から自然に零れ落ちた言葉は、自分でもビックリするほど真実味が篭っていた。

「楽しかったなァ」

視線を海から山崎に移して、近藤は微笑んだ。
近藤の視線をうけて山崎の心臓は小さくはねた。

(今の顔、反則だよな)

素の、油断した、丸出しの親愛。


(この人ってホント天然)


うっかり見とれてしまって、あいた間を、波の音と音楽が埋めていく。
夏の恋のバラード。切ない歌声。


山崎は、息を吸うと大きく吐いた。眼前に広がる海と月の明かりが綺麗だと思った。
近藤は、もう、視線を海に戻して歌を口ずさんでいる。
山崎は、近藤とおそろいで色違いのTシャツを、また確認した。背中にお通ちゃんの自筆サインが入った原色のTシャツ。近藤の着ているショッキングピンクまでが不意に愛しく感じた。

(こうしてると、案外若くっつーか、歳相応に見えるよな)


近藤はくつろいだ姿勢で、シートに深くもたれかかり、行儀悪く片足を持ち上げている。
ハーフ袴から突き出している素足や、腕や首筋が焼けて赤くなっていた。
汗で髪の毛が張り付いているうなじが少し色っぽい。なんつって。
心地よい疲れを身に纏った気だるげな表情は、20代後半の青年のそれそのものだった。

武装警察局長という面立ちは、今はなりを潜めていて

(だからさっきから妙にドキドキすんだよな)

山崎はそっと息を吐いて、ミラーに映る自身の顔を見た。

(俺も、あんな顔してるのかな?)


任務も責任も今は忘れて。
素の山崎退になっているのだろうか。


(あーあ。もっとちゃんとした夏休み欲しいなァ)

可愛い女の子と南の島でバカンスなんてどうだろう。
なんて、夢見ることさえ溜息がでる。

だって

恋の魔法とも波乗りとも無縁な生活をしている。
海どころかプールでさえ、行く機会は少なくて。
今日みたいな、夏を満喫出来る日が、またあるかと言われればその可能性が低い事を、山崎は嫌と言う程知っている。

でも、本当のところ、そんな生活が嫌いじゃない。
嫌いじゃないんだ。
夏休みどころか、一年中休みなんて、あって無いもんだけど。
それでも。
そう、それでも。



「ララ ラーラララ ラララー」


ムードをぶち壊しにする、声が車内に響いて、山崎は我に帰る。
近藤の方を見れば、嬉しそうに近藤は、リズムをとっている。
山崎は噴出した。




「「今何時!?」」


なんだか吹っ切れてしまって、鼻歌を超えたテンションで歌う近藤にあわせて山崎も叫んだ。
叫びながら、終わってしまおうとしている今日がとても、とてもとても楽しかったのだと気付いて、なんだかヤケクソの気分だ。帰りたくない。なんて、子供の時以来だった。
その後に、ちょっと卑猥でギリギリなヒット曲を熱唱する。もう鼻歌だなんて呼べない大声だ。
あんまりやけっぱちのテンションで歌ったので、運転がおろそかになって、後続車にクラクションを鳴らされ追い抜かされた。山崎と近藤は目を見合わせて笑った。

気がつけば、遠くで光っていたはずの街の灯りが随分近くなっている。
海の終わりが近付いていて、山崎は、寂しさで胸が痛むのを誤魔化し切れなかった。

「楽しかったなァ」

うーんと背伸びして、近藤は呟いた。

「楽しかったですねェ」

言外に帰りたくない気持ちを滲ませて山崎は同意の言葉を返した。


「お前が付き合ってくれて良かったよ」

「え?」

思いがけない言葉に、山崎が、近藤を見れば、近藤の視線は遠い海に注がれている。
その横顔を、疲れを滲ませた優しい横顔を、月明かりが照らしていて、山崎は、少しだけ、綺麗だと思った。


(沖田さんじゃあるまいし)


恥ずかしくなって、アクセルを踏みこむ。

カーステレオからはまだ歌声が響いている。


夏の恋の歌が。






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普段はオッサンオッサン(訳:カワイコちゃん)いうてますが、20代後半は青年だとホントは思います。TシャツISAOとかたまにはいいかもしれません。背中にお通って書いてあるけど。
おそろいのTシャツなんかで帰ったらザキは人生終わっちまうんでねーだろか・・・