俺はきっと心のどこかで、癒されることの無い熱病に指先まで侵されたお前の唇が、カラカラに乾いていることに気付いていたに違いないのだ・・・

今はただ、この大粒の雨が、お前の魂を燃やす熱を、冷やしてくれることを

願う



豪雨



近藤が先程から見上げている空には、どんよりとした雲が垂れこめている。
今にも大粒の雨を降らせそうな暗雲の中には、一体どれ程の水が留まっているのだろうか。と、考えて土方は、近藤の背からそっと視線を外した。

この陰気な空を除けば、片田舎で過ごした今日という一日は、二人にとって良い一日といえるだろう。

仕事は思いのほか早く片付いたし、宿泊している宿屋は、小さいが品のいい宿で、過剰なサービスもない。ここのところ暫く、息をつく間もないくらいに忙しなく働いていた二人だ。江戸とは違うゆったりとした時間の流れの中で、気が置けない相手と共に過ごす時間にどれ程の希少価値があるか。


近藤は、さっさと隊服を脱いで、すでにリラックスしている。

土方は、上着とベストの留め具を外した状態で、イスに腰掛け煙草を咥えた。

局長と副長である自分たちが二人で赴く仕事ならばと、多少の覚悟をして望んだのだが、どうやらこれは松平のとっつァんのささやかな労いだったようで、だとしたら大きなお世話だ。と、土方は煙草を燻らせそんな不遜なことを思った。


雨はまだ降っていない。


相変わらず空を見上げている近藤は、渋い鶯色の着流しを着ていた。
「浴衣は温泉に入ってからにしよう」と、彼が言ったためだ。

咥え煙草でイスにもたれかかる姿勢をとった土方は、天井を見上げたまま指先でシャツのボタンを外し、江戸に残してきた隊の事と、仕事の事を考える。
なにもこんな所に来た時ぐらい。そう、土方自身も思うのだが、そうしていないと理性を保っていられそうになかった。
気だるい動作で隊服を脱ぎ散らかすと、土方は近藤に習い、自分も青みがかった灰色の着流しを着る。 立ち上がって帯を結び、隊服を拾い上げて畳みながら、土方は近藤の背を盗み見た。

土方は近藤に惚れている。
それも半端な気持ちではない。
最初この気持ちに気付いた土方は、躊躇い、否定し、何度も忘れようとした。けれども、気持ちを打ち消そうとすればする程、土方は近藤の存在を意識し、想いは強固になるばかりだった。
近藤は女にもてこそしないが、女性が好きで、実らないような恋をいつも抱えている。
そこに、男である自分が付け入る隙は無かった。

不毛だということなど、当の昔に身に染みて解っていた。それでも、気持ちは変わらない。
変わらないどころか、日々近藤の片腕として側に居て、その人となりに触れる程に、想いは、募るばかりだ。

喉元まであがる、溢れんばかりに押し込められた気持ちを、なんとか吐き出さずに自分が今日まで過ごせてきたのは、己の臆病さゆえだと土方は、自覚していた。

真選組の副長で居られる限り、土方は、近藤の特別だった。
隣りに居る権利。
信頼。
彼を幸せにすることに貢献できる満足。

近藤を男にすることが土方の武士道であり、生きる目的であり、その見返りに得られる全てが渇望する心を満たす唯一のもので・・・
果てし無く肥大化する欲望の中で、それが一時しのぎの付け焼刃的な満足にしかならなくても、全てを投げ捨ててまで近藤を求める勇気が土方には無い。
この関係を失うことが怖い。
怖くて怖くて堪らない。

それに土方は、この仕事を天職と心得ていた。
副長である時の一種の緊張感が好きだった。

だから土方は自分を律してこれたのだ。
そういう意味では、隊士たちのさらに言えば食えない沖田の存在は有り難いものだった。

(けれど、今は二人きりだ・・・)

土方は、数年ぶりの二人きりという状況に、副長である己を失いかけていた。

土方が着替え終わったのに突っ立ったままで居ることに気付いた近藤が振り返る。

「トシ。ついに雨が降ってきたぞ」

見ると、窓の外では降り始めの雨がポツポツと庭の葉を濡らしていた。

「風呂、入りに行くか」

窓の障子を閉めて近藤が言う。
土方は、刀を腰にさすと、頷いた。
長い渡り廊下を近藤が前に立ってゆく。
土方は刀の柄を握り締めて、その背中を追う。

雨が勢いを増し始めていた。



離れにある湯屋に荷物を置いた二人は、庭を散歩することにした。
近藤が、番傘をさして外に出ると、激しくなった雨がバラバラと傘を鳴らした。

「随分大粒の雨だなぁ」

近藤は呟いて、空を見上げる。
そんな近藤の様子を先程から黙って伺っている土方は、自分が平常心を失いかけていることに不安を覚え、ゴクリと唾を飲み込んだ。

「トシ。お前も早く来いよ」

近藤が土方に微笑みかける。
その笑顔にドキリと心の臓を鳴らして、土方は頷いた。
もう一度唾を飲み込んで、これでは欲情しているみたいじゃねーか。と思う。
だが、すぐに思い直した。

(いや、欲情しているんだ)

手を伸ばせば触れられる距離に近藤がいて、それでいて誰も邪魔する者が居ない。
こんなチャンスは滅多に無いことじゃないか。
腹の奥の疼きを感じて、土方は苦笑する。
だが、己は臆病だから、手出しできないに違いない。
せめてもう少し若ければ・・・若者特有の無謀さや強引さが今の自分にあれば。

土方は、傘の柄に手を伸ばして、立ち尽くした。
薫りたつような過去の記憶に触れたためだった。

土方と近藤は過去に一度だけ肌を合わせたことがある。

まだ長い髪を高く結い上げていた頃の話だ。
真選組の隊士には、あの小汚い芋道場時代の仲間が沢山居るが、その半数も集っていなかったそれ程の昔、まだ刀の扱い方もろくすっぽ解っていなかった若造の自分達。

そうなったきっかけは覚えていない。
多分、成り行き。興味本位での出来事だったに違いない。

だが、その味は今もはっきり覚えている。
忘れたくても、忘れられない、夢にまで見るあの甘美。
組み敷いた男の汗ばんだ肌、匂い、喘ぎ声と羞恥する表情。
今と違って失うものなど何も無かった貧乏だが自由な日々を、象徴するような一夜だった。

傘を掴んで突っ立ったままで居る土方の側に、心配そうな顔をした近藤が立つ。
「大丈夫か?」
声が聞こえて、仰ぎ見た近藤の姿が、一瞬、あの頃のように映って、土方は大きく目を見開いた。
「トシ?」
温かな手が伸びてきて、頭をくしゃくしゃと軽く撫でられる。
「ガキ扱い・・・総悟じゃあるまいし近藤さん」
「ん?いや、なんかよー。こう、二人でのんびりしてるとさ、若い頃に戻った気にならねぇ?」
無邪気に微笑む近藤のセリフが土方の琴線に触れた―


バシャリ


近藤がさしていた番傘が、雨の中に、落ちた。
近藤の腕を掴む、土方の目に強い光が走る。

怖い

反射的にそう思って、近藤は一歩後退った。

ザアアアァァ

雨脚が一層強くなる。

今、土方の目に映るたぎる色と同じものを、近藤は、過去に一度だけ見たことがあった。
血に飢えた獣のようなギラギラとしたそれは、貪るように交じり合った、たった一度きりの夜の、土方の目そのものだった。

怖い。
食われる。
怖い。

咄嗟に、近藤は、土方の腕を払った。
そして、いたたまらなくなって、雨の中、宛ても無く走り出した。

「近藤さんっ!!」

驚いた土方の、辛そうな声が耳に届いたが、今更立ち止まることは出来ない。

「近藤さん!!」

もう一度自分を呼ぶ声が聞こえて、土方が後を追ってきた気配がした。

近藤は、走る速度をあげた。



激しい雨の中を二人は駆けた。

3m先すら霞むそんな激しい雨の中をだ。

帯刀した軽装の男が二人、傘もささず、びしょ濡れになって全速力で駆ける姿は異様としか言い様がない。


食われる
食われる
食われる

夢中になって逃げる近藤は何度もそう呟いた。
振り返ることも出来ないほどに、土方が、怖かった。

今、近藤の脳裏にはあの夜の土方の姿がありありと浮かんでいる。

抱かれることに恐怖したのではない。
組み敷かれることに嫌悪したのでもない。
行為そのものにではなく、近藤は、それが与える甘美な快楽を、恐れていた。
あの時―
抱きしめられ、突き上げられ、口付けられる最中に近藤は、土方を感じていた。
これでもかというほどに土方という男を感じ、その男が自分にむける愛を肌身いっぱいに感じていた。
彼は自分を求めていたし、自分もきっと彼を求めていたに違いなかった。
気持ちイイ。と体の奥が震えた感覚は今も自分の中に残っていて、今この瞬間に捕まる事をどこかで待ち望んでいる。

だが、近藤は、それが怖かった。
あの頃、二人は、若かった。
将来はまだ見えていなかった。

土方という男の性分からして、自分を裏切るということはまずありえない。
一生の愛を誓ったなら、その愛を守り通す男だ。
だから、近藤は、土方の想いを拒否した。

いや、正確に言えばそれも能わなかったのだが。

あの頃の近藤にできたのは全てを有耶無耶にしてしまうことだけだった。
これは、ほんの興味本位だ。と。
二度目は無いのだ。と。

(そうしなければ、恋に溺れ、身を滅ぼすのは俺の方なんだよトシ・・・)

自分は、土方の尽きることない愛に溺れてしまう。
そうなれば、堕ちていく自分を見放すことなどできない土方もまた―

道ならぬ恋に、二人、堕ちていくには

あの頃の、俺たちは、若すぎた。
それに、才能がありすぎたのだ。

近藤は自分たちの力量を過小評価しない男だった。
骨をあの小さな道場に埋めるつもりは毛頭無かった。


雨は容赦なく二人に降り注ぐ。

「クソっ」

土方は、濡れてべっとりと貼り付いた前髪を掻き揚げ、目を細めた。

(近藤さんの背中が滲んで見えやがる)

それでも足を止めることはできない。
もうお互い引き換えせやしないのだ。

激しく打ち付ける大粒の雨で、ものの数分と経っていないというのに、着物はしとどに濡れそぼった。
貼り付き、纏わりつく布は、尋常で無いほど重く、二人の男の輪郭をくっきりと浮かびあがらせる。
周囲が霞むほどの雨の中でそのコントラストが酷く滑稽だと土方は自嘲した。

近藤さん

何もかもがぐっしょりと濡れそぼっているというのに、不思議と土方の口の中は涸れていた。
目の前を走る背中は一向に疲れを見せない。

近藤さん

近藤と土方は今やただの二人の男だった。
腰にぶら下げている刀の重みすら、ともすると忘れそうだった。
真選組という肩書きも、権威も、責任も、こんな田舎のこんな酷い雨の中ではあまりにも無意味だった。
故に、土方を律し、且つ縛り付けていたものから土方は解放されていた。
思うままに生きていたあの頃のように、
二人は感情に突き動かされるままに、ただ、走った。

(不毛の堂々巡りだな・・・)

土方が懇親の力を振り絞って走る速度を上げる。
ぬかるむ足元に力を込め、手を伸ばし、前を行く近藤の肩をついに掴んだ。

近藤の体がビクリと跳ねて、何か恐ろしいものに捕まれたかのように、強く、近藤は土方の腕を払った。


「近藤さん・・・」


「おいっ!待てよッ!近藤さんっ!!」

土方から顔を背け、再び走り去ろうとする近藤に、土方が襲い掛かかる。
しばらくのもみ合いの後、土方の腕が近藤の両肩をがっちり掴んで、そして二人は崩れるように倒れ、坂道を転がり落ちた。


取っ組み合ったまま、濡れて滑る草の上を転がり、坂道を完全に下りきったところで二人の体が止まる。
上になったのは土方だった。
近藤に馬乗りになったまま、土方が、近藤の顔を仰視する。
触れ合う面から、熱が伝わってきて、近藤は、普段は比較的体温の低い土方の体が熱く火照っている事に気付く

(あんなことは・・・・もう・・・2度としないと・・言ったのに)

土方のたぎるような光をのせた瞳を見ていられなくて、近藤は目を閉じた。

(ああ、こんなのは・・・酷い・・裏切りだ)

ザアザアと、雨は、容赦なく、二人の上に降り注ぎ、
顔中を強張らせた近藤を土方は仰視し続ける。

雨に濡れそぼった二人の着衣は乱れに乱れ、前を大きく開けた近藤の着物などは、もはや引っ掛かってるも同然の状態だった。

おもむろに土方は近藤の帯を解いた。

「トシッ」

喉の奥から捻り出された近藤の声。
土方は、構わず、今度は露になった褌に手をかける。

「トシッ」

(せめてお前の目に狂気が浮かんでいればよかったものを)

アレは酒のせいだったんだよ。とか
あん時のお前はどうかしてたんだよ。とか
そういう言い訳が自分たちには必要なはずなのに、土方の目は狂気の光を含んでいないどころか、
瞳孔すら開いていない―
こんな真剣な、それでいてこんなにも情熱的な目をして、土方は今―

(自分を求めている)
  

近藤には、決断が必要だった。


ザアアァァァ


春にしては、冷たい、冷たい雨が、二人を打つ。


ああ、俺はなんて愚かな男なのだろう。
有耶無耶にしたまま全てを由としていたなんて。

本当は、きっと心のどこかで、癒されることの無い熱病に指先まで侵されたトシの唇が、カラカラに乾いていることに気付いていたに違いないのだ・・・

(だけど・・)

雨で冷え切った体に触れる土方の指は、やけに熱く。

(だけど・・・)

近藤は、大粒の雨粒が垂直に落ちてくる見慣れない光景を望みながら思う。

今の自分たちには、抱えているものが多すぎる。

(トシ。俺は、俺は・・・・・)

結局ズルイのは己なのだと知りながら、

近藤はただ、

土方の魂が燃え尽きてしまう前に、

この大粒の雨が、たぎる土方の熱を、冷やしてくれることを

願う。






 

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着物の人が雨でびしょ濡れとか、やらしくて好きです。
アンケートでも多かった土近。切ない感じで。切ない・・・書けてる?
本当にいつもありがとうございます