まだ少し遠い距離


シンとした玄関に小さな違和感を感じて、黒い皮の靴を下駄箱にしまった近藤は、

「ああ、珍しいこともあるもんだな」

と、呟いた。

いつだって真選組は大所帯で騒がしいけれど、だからといっていつもいつも玄関まで声が響き渡っているわけではない。
シンとしていると感じたのは、いつもは所狭しと下駄箱に並べられた靴や、だらしなく床に散らかされたままになっている靴が、ほとんどなくて、それがやけに閑散とした空気を生んでいたからだった。

ヒョイと隣の下駄箱をあけて、近藤は土方の靴があるのを確認する。
そうしたことに特に理由は無い。
誰も居ないと少し寂しいから、まぁ居てくれたらいいなぁ。ぐらいの事を思っただけ。
開けて、
「お、トシはいるな」
と独り言ちて、近藤は冷えた廊下に足を伸ばした。


極稀なことだけれども、全ての隊が出払ってしまうことがある。
事件とか護衛とか交通整理とかそういうものが重なって、非番の隊の居ない屯所は、とても静かでやけに広々としている。
今だって、近藤が歩くたびに、冷えた床板がギシリと軋む音がする。
普段は気になりもしないのに、不思議なもんだ。と、冷えた空気を吸い込んで近藤は小さなくしゃみをした。

師も走る季節だかんなー。なんて、今日は冷えるな。と両手をポケットに突っ込んで、近藤はゆっくりと廊下を曲がる。
寒いので体を縮めて、歩いていると、むしゃくしゃした気分に拍車がかかった気がした。

どうして老中ってあんな嫌な生きもんなんだろ。

年末だからってやけに時間のかかった今日の会議を思い出して、近藤は、頭を軽く振り、背中をさらに丸めて拗ねたように歩く。
ゆっくりと。
自分の部屋より手前で立ち止まる。
ゆっくりと。
障子を開ける。
勢いよく。

入る。
閉める。
畳に仰向けに寝転ぶ。


「おかえり近藤さん」
「ただいま」

部屋の主が机に向かったまま、振り返りもせずにそう言って、不機嫌を隠さずに返事をして、ようやく近藤はほっと落ち着いた。
部屋の主の土方が、自分に構う気が無いのを知っているので、うんと背伸びして、刀を手の届く一番遠くに置いて、無意味にゴロゴロと転がってみたりする。天井を睨みつけて、古いシミを目鼻口に見立てて、べーと不細工な顔を作って、我ながらなんてガキなんだと可笑しくなった。そして随分すっきりした。

こういう時は二人きりってのもいいもんだ。

大の字になってぼーと天井を見ながら近藤はふと思う。
首だけを曲げて土方の方を見ると、机の上には、年末恒例書類スペシャルがうず高く積まれていて、時折悪態をつきながら書類を片付けている痩せた背中がとても頼もしくそして気の毒に見えた。(半分は誰かさんが本来やるべき仕事なんだけれど)

むしゃくしゃすることがあると近藤はなんとなく土方の部屋に来てしまう。
そういう時土方は近藤の心中がわかるのか、今みたいに近藤が土方の後ろで転がったりぶつぶつ言ったり幼稚な行動をとったりしても、気にもしないし構いもしない。
そのくせ空気ばかりは優しくて、それで近藤はついうっかりなにか嫌なことがあると此処に来てしまうのだ。

(邪魔かもしれんがそれもまぁトシのせいだ)

そう心の中で言い切ってしまうと、今更ながらとても我侭で、なんだかいっそ好ましい気がした。

「総悟のヤロォ」

と、近藤の視界の中の土方が文句を言っている。忌まわしげに煙草をもみ消している。
それでも実は総悟が大好きなことを近藤は知っている。
この男は本当はとても優しい男で、口も態度もキツイけど、真選組の隊士を大事にしていることを近藤はよぉく知っている。
だから、もし、自分に何かあったときはコイツしかいない事も。

天導衆に目をつけられてしまったお蔭で、今日の老中何某さんの嫌味は酷く長かった。
ウンザリする。隊士は碌な休みも無く連日働き詰めているし、土方は徹夜で事務をこなしている。
皆江戸を守るためにがんばっているというのに、あのKU・SO・O・YA・ZI!

それに気にかかる情報があった。例の宇宙海賊の。
また、忙しくなるだろう。

それで少しだけ考えた。
宇宙海賊・麻薬密売・癒着・幕府官僚・天導衆。世の中はウンザリする事ばかりで、それでも、それでも。


そういう事考えるのはあまり得意でないし好きでもない。
けれど、覚悟、鈍らないように研ぎ澄ましておきたい。

何かあったら責任とってやるから、信念まげずに生きなさいよ。って言える様にしていたい。

(そん時は、トシ、後を頼んだぞ。お前しかこんなこと頼めるやつはいねーからさ)

そんな事を近藤が心の中で投げかけたとき、パタリと土方の筆が止まった。


「なぁ、なんか飲むか?寒いだろ?」

「酒」

振り返った土方に少しドキリとして、だけどもまぁ平静を装って近藤は「酒」ともう一度言った。

「仕事中に遊ぶなっていつも言うのはどこのどいつだよ」

笑ったような声でそう土方が返す。

「お前」と、近藤が指差すと、「今日は随分ご機嫌だな」と楽しそうに言われた。

なにがなんだかわからないけれど、思わず赤くなるほど近藤は嬉しくて、そして、少しだけ不味いな。と思った。


**

温かいもの温かいもの。と、繰り返し呟いて土方はふと手を止めた。
近藤の態度が今日はいつもより変だった。
そのことが少し気にかかった。

(ホットミルク。でもつくるか。ああ、いや、めんどくせぇ。俺あの匂い苦手だし、ほうじ茶でいいかな)

手に取った茶筒と牛乳を何度か交互に見て、土方は結局茶筒を選ぶ。
こういう時の近藤は土方に言わせたら拗ねた子供のようなもので、あんまり気を使わないに限る。
茶の準備をし終えた土方は、湯を沸かしている時間をなんとなく持て余して、ずるずると床に沈みこんだ。

思考を空にすると静けさがやけに胸にしみた。湯を沸かす音だけが聞こえて、本当に今屯所には近藤と自分しか居ないんだという事を意識するのは危険だと思った。

(酒出そうかな)

酒なんて飲んだら我慢利かなくなるけれど、「そうなっちまえよ」と心の片隅では声がしていた。

酒飲んで、裸で抱き合って、境界線跨ぎこして、一つになったら・・・幸せ、に、なれんのかね。

振り返った瞬間に一瞬だけ見てしまった切羽詰った近藤の表情。

(あれ、何考えてたんだろ)

抱き寄せて唇を塞ぎたくなった。
あの瞬間そうしても近藤は怒らなかったかもしれないけれど、なんとなくそうさせないものが近藤にはあった。
寂しく感じてしまって土方は誤魔化して笑った。
「酒」と拗ねた口ぶりの近藤が可愛かったのもあるけれど。


**

(あああ、危なかった)

ギュッと目を閉じて近藤は深呼吸をする。
主不在のがらんどうの部屋はかえって土方の匂いがして、近藤の動悸は中々収まらなかった。

さっき

振り返った土方が一瞬恐い目をした。
キスでもされるんじゃないかと思ってしまって近藤はとても恐かった。
普段ならともかく今は嫌だった。
とんでもなく感じてしまいそうで。

(いやいやいやそんな筈が無い)

土方は時折(それは酔ったときとか酔ったときとか酔ったときとか)「キスしたい」と言ってくる事があった。
ごくごく稀にされてしまう事もあった。

大概怒る事もできないで、茶化して誤魔化してうやむやにして、その場をやり過ごすのだけれど、こんな日は特別不味かった。

(だってさーいつのまにか随分と距離近くなってんだもん)

ちょっとでも機嫌が悪いときは、お互い直ぐ分かる。とか。
何も言ってないけど、なんとなく言いたいこととかやって欲しいこととか分かってしまう。とか。


はーと長く息を吐いていると、廊下を歩く振動が伝わってきて近藤は慌てて寝ているふりをした。




「・・・・・・」

障子を開けた土方は目を瞑って小さな鼾をたてている近藤を見下ろした。
手に持った湯飲みからは温かい湯気が白く立ち上っている。
溜息をついて近藤を跨ぎ、一つ机に置いて、障子を閉めに行き、一つ手に持ったまま近藤の側にしゃがみこんだ。

「近藤さんほうじ茶淹れたんだけど」

「すぴー」

「・・・・・・・」

(なんで?狸寝入りだ??)

「いい匂いするだろ?熱いぞ。顔にかけてやろうか?」

辛抱強くしゃがんで、空いてる手で、近藤の閉じた瞼の辺りを遠慮気味に撫でて、土方が小さな声で呟くと、ぱっと近藤の片目が開いた。
目の色が驚いていた。

「やめて」

「起きろよ」
「ヤダ」
「茶いらない?」
「いる」

(なんだろうこの人、今日はまるっきり子供みたいだ)

「じゃ俺の机の上置いとくし、温かいうちに飲めよな」

土方の手が優しく近藤の頭を撫でると、近藤が恥ずかしそうに頷いた。
思わず土方は口をあけて近藤を見てしまう。
目が合ってプイと横を向かれて、猛烈にキスしたくなって、でもできずに、土方は這うような気持ちで机に向かった。

それからはまるっきり仕事がすすまなかった。



近藤の心臓は今度こそ静まるところを知らなかった。

(なんで寝たふりばれたんだろう)

だから嫌なんだ。トシはもうなんだか敏感すぎる。
トシがあんなだから最近自分は、自分が分からない。
自分かトシか分からない。
今こう思ってるのは自分だったかトシだったか。なんてボケ老人みたいなこと思うんだ。

(境界線が曖昧になってく)

恐い。
いつか離れられなくなるのが恐い。
トシはトシ。自分は自分。でないと、トシの事もみんなの事もきっと守れやしないのに。


土方が近藤の顔にそっと触れた瞬間、近藤の心臓はビクリと跳ねて、それからはもうどうしようもなかった。

「いい匂いするだろ?熱いぞ。顔にかけてやろうか?」

なんて、低い呟き声さえ腹に下肢に響いて、起きているのがバレバレなのがなんだかやたら恥ずかしくって、片目だけ開けた。


(触るな触るな触るな)

子供みたいに拗ねた返事をしているときも、土方は近藤の頬やらデコやらを撫でて
(触るな触るな)

髪の毛をクシャリとやられたらもう何も考えられなくて

(触れ)

そう願った時はもう土方は背を向けていた。



ちょっと唇を噛むくらいがっかりしてそのくせもう絶対に触られたくなくて、自分が何を思ってるのか分からなくなって。

近藤は、


「お妙さん」


の名前を呼んだ。


とたん土方の肩がビクリとゆれて不機嫌なオーラが広がる。

「茶。さめる。近藤さん」

「あああ、うん」

お妙さんの名を口にした瞬間自分でもビックリするほど落ち着きを取り戻した近藤は、そっと起き上がると、土方の机からまだちゃんと温かいほうじ茶をとって、土方の左側少し離れたところに座った。


ズズズ

茶をすする音がシンと静かな部屋に響いて、堪らなくなった土方は、筆を握ったまま左手を伸ばした。
そして、なぜか左手に湯飲みを持った近藤のだらりと床に投げ出された右手を握った。
いや、握ったというよりは実際はもっと消極的に手に手を重ねただけなのだけれど。



土方の肩先から近藤の肩先まで1m


土方を不安にさせ、近藤を安堵させる


まだ少し、遠い、距離。






 

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境界線を守りたい近藤、無くしたい土方。

リクエストありがとうございますキヨスミ様!愛をこめて