その赤い小さな電気ストーブは、とても古いもので
彼女が住むあの広々とした家には
まるで似つかわしくないものだった。

シューシューとスチームを吐き出す音が、老犬の呼吸のそれに似ていて、
近くでじっとしていると服を焦がすほどの熱を持つくせに、
部屋の空気を暖めるには力が足りない。

真っ赤な電熱線がゆっくりと色を失うたびに、
彼女のことを思い出すというのに、
結局、電気代ばかりがひどくかかる古びた電気ストーブを引き取って愛用してしまう僕らは、

永遠に貧乏をやめられそうにない。



電気ストーブ




「それでも結局その娘は・・・」

揺ら揺らと揺れる椅子に腰掛けた老婆は、話がクライマックスに差し掛かったところで軽く目を瞑った。
僕たちはその話を聞くのがこれで5度目だったので、回想するような彼女の仕草が、この話をする時の癖のようなものだということを知っている。

「ウウ・・ガッデム強く生きるアル」

もちろん話のオチを聞くのも5度目というわけで、最後を知っている神楽ちゃんは、コレからが山場だというのにもう興奮して泣きそうになっていた。
銀さんは少し離れたところでソファーに寝転がってテレビを見ている。
僕は、やはり5度目だというのに飽きることなく、その終わりを語るお婆さんの顔を見つめ、言葉を待った。

「お・・」

ピンポーン

お婆さんの言葉を遮る様にして鳴ったインターホンに銀さんがビクリと反応し起き上がった。
お婆さんはチラリと玄関のほうに一度視線を向けて、それから時計を見、また静々と話を始めた。

僕は立ち上がり玄関に向かう。

相手はわかっている。

飛脚マークの宅急便屋さんだ。

お届けものは大江戸ホテルのケーキ。

でなければ銀さんが反応するものか。

僕は預かっている印鑑を押すと、ケーキの箱を受け取った。
いつも貧乏暮らしの僕たちには、普段全く縁の無いぱてぃしぃえの作ったケーキをおやつに食べるのは、コレで6日目になる。
いつもきっちり3時に届くようになっている。
日に日に箱のサイズが大きくなるのは、糖分大魔王と大食い少女の所作だろう。

すべてはあのお婆さんのお蔭様である−




僕たちがこの仕事を引き受けたのはちょうど1週間前。
仕事の直接の依頼人は彼女だが、間接の依頼人はあの桂さんだった。
桂さんの持ってくる話には碌なものが無い。と一度は撥ね付けた銀さんをあっさり落としたのがこのケーキだ。
大江戸ホテルの高級デザートという言葉を聞いて目の色を変えた男のおかげで、僕たちは久々の仕事にありついている。
仕事の内容はいたって簡単、10日間、お婆さんの家に通って、共に過ごす。というだけだ。
どうして10日間なのかはわからない。
はじめ、依頼人の歳が歳だけに・・・。とも考えたのだけれど、彼女はすこぶる元気で、かつ聡明な人だった。
同じ話を何度も繰り返すのだって、老人の癖でそうするのではない。
あの話がえらく気に入った神楽ちゃんがせびるから繰り返し繰り返し話してくれる。
お伽噺風のそのストーリーは想像するに彼女自身の・・・

「おーい新八。早く。茶〜」

「モウ銀さん。早く食べたいならお茶ぐらい自分で淹れたらどうなんです!」

「あーあんなかったるいもん淹れてられるか」

まったく銀さんときたらここに来てもどこに居てもぐーたらで。

「ワタクシが淹れましょう」

結局は毎日お婆さんがお茶を淹れてくれる事になる。
だけど、本当のことを言えばそれがいい。
お婆さんの淹れるお茶は格別に美味しいからだ。
紅茶という天人の持ちこんだ舶来のお茶は、今でも高価なもので僕たちにはうまく扱えない。

この天人文化風の平屋の家も、大江戸ホテルのケーキも、紅茶も、普段の僕たちの生活とは縁遠いものばかりで、
10日も居たら、僕たち3人とももう少しはお上品になれるのじゃないかと思ってしまう程、ここの空気は穏やかだ。

「そういえば、また来てましたよコレ」

「あら。有難う」

がっつく二人を横目に僕は、お婆さんにそっと手紙を渡した。
宛先も宛名も送り主の名も何も無い真っ白の不思議な封筒。

不思議といえば、もういくつか不思議なことがある。
一つは、お婆さんの名前を教えて貰えないこと。
もう一つは、この家には生活感がまったく無いこと。

そして、入ってはいけないと言われている部屋がいくつかあること。

「ああっ!!それ僕の!!」

迂闊だった。
ぼんやりしているうちに隣から手が伸びてきて、僕の皿に乗っていたケーキを一つさらわれる。

「銀さん返せよっ」

銀さんの目に悪戯っ子のような光が走って僕のケーキがどうしようもないおっさんの口の中に消えていく。
あーもう。ホントこの人ときたら・・・

「お婆ちゃんもっと茶を注げアル」

「ハイハイ」

「ちょっとー神楽ちゃん何言っちゃてんのー!!す、すみません」

僕が不思議に傾倒する間もないほど、銀さんと神楽ちゃんは好き放題で、
けれど、そんな2人の様子にも嫌気が差すことなくお婆さんはニコニコと笑ってくれるので、僕は、僕たちはこの仕事を引き受けてよかったと思うのだ。



「孫ができたみたいだわ」

通いだして3日目だったか、お婆さんがポツリと呟いたことがある。
そういえば、彼女は結婚していない。もちろん孫はおろか子供もいない。

「本当の孫だと思っていいアルね。お婆ちゃーん、カネヨコセ」

すっかり懐いてしまった神楽ちゃんは、お婆さんの膝の上に乗ってそんな事を言っていた。
あの時はヒヤッとさせられた。

銀さんも、僕も、神楽ちゃんも、この聡明で、どこか気品すら漂うお婆さんを好ましく思うようになっていた。
暇さえあればパチンコばかり行く銀さんが、この6日間はまだ一度もパチンコに行っていない。
時々、家の中をふらっと歩き回り、何か考え込むような表情を浮かべたりするのだけれど、
大抵は、皆のあつまるリビングの、フカフカのソファーで寝転びながらテレビを見て過ごしている。
たまに、万事屋らしく、電球をかえたり、力仕事を手伝ったり、真面目に働いて薄気味悪かったりする。


「今度は桃次郎がいいアル」

戦場のようなおやつの時間が終わり、片づけをはじめた僕の背後で神楽ちゃんがまたお話をお婆さんにねだる。
そういえば、お婆さんは声もすごくいい。
それに、話がうまい。
神楽ちゃんのお気に入りは、さっきの「江戸黄昏女(神楽ちゃん命名)」とお婆さんの抜群の語り口調によって臨場感あふれる冒険活劇に仕立てられた「桃次郎」だった。




片づけが終わった僕は、銀さんの横に腰掛けた。
銀さんはいつの間にか起き上がってテレビを見ている。
テレビは夕方のワイドショーで、そのとき画面は、先日あった幕府要人暗殺事件を特集していた。

「あ、コレ怖いですよねー。江戸城から出てきた所を ズドン でしょ」

「仕方ねーんじゃねーの。天誅だよ天誅。見るからに凶悪そうな面してるじゃねーか」

「珍しいですね銀さんがそういう事言うの」

「そりゃあ、俺だってコレでも大人ですからね。こういう悪人が政治の世界にのさばってんのを許せなく感じる時もあるわけ。お前、ホント、こいつのニュースがなければあの日は結野アナのヨォ・・・」

「それが理由かィィ!!」


銀さんが気だるそうにソファーの背もたれにもたれかかり、頭をカクンと仰け反らせた。
思わず僕も後ろを振り返ると、神楽ちゃんに話をしているお婆さんと目が合う。

「婆さんアンタもこの事件気になるわけ?」

「ええ。少し。世間を騒がせる大事件ですから」

「ふーん」

銀さんは気だるい調子のまま、顔をテレビに戻し、お婆さんは微笑を絶やさないまま話の続きに戻った。

特集は、犯人は過激で有名なある攘夷グループの一員で、逮捕は目前だ。とういう趣旨の事を言い、
コメンテーターが、ただし単独犯ということは無いだろうから、裏で相当大物の指示があったのだろう。というようなことを言っていた。

僕はなぜだか急に肌寒く感じて、席を立つとリビングの真ん中で真っ赤に燃えている電気ストーブの方に歩み寄った。
ストーブがシューという音をあげてスチームを吐き出す。
その前に座り込んで手をかざすとようやく暖かさが体に伝わってきた。
こんなに広い部屋に、暖房器具がこれ一つしかないっていうのもこの家の謎の一つだな。と僕は思い、
ジリジリと踏ん張っている赤い小さな電気ストーブに目を向けた。

***

昔、昔、あるところに、大層世間知らずの田舎娘がおりました。

娘は18になるその日まで、生まれた小さな村を出たことは一度もありませんでした。
けれども、あの時代のこの国のほとんど全ての娘がそうであったように、娘もまた、江戸に憧れ、都会に憧れ、いつか素敵な侍と恋に落ちる日を夢見ていました。

そんな娘の下に、ある日、攘夷を唱える若い侍があらわれました。
娘は村の長者の家の末の子で、彼女の家に宿泊した男と、
ロマンチックな出会いに心の底から憧れていた娘は、すぐさま恋に落ちました。
男が滞在した一ヶ月間は娘にとって夢のような日々でした。
男は、それまで知っていた村のどの男とも違い、熱い夢を語り、爽やかな笑顔を浮かべ、娘の指を可愛らしいと褒めたりしました。
娘にとっては何もかもが初めてで、指先が触れることさえ恥ずかしいというのに、男の言葉は甘く娘の心を擽るのです。やがて、次第に二人の距離は縮まり、はにかむ様な口付けを交わしたと思うと、二人は愛し合うようになりました。

けれども別れはすぐにやってきました。
元々長くは滞在しない予定だったのです。
「これ以上ここにはいられない」と言った男の言葉を娘は止めることができませんでした。

「別れるのは寂しいけれど俺にはこの国のためにやらなければいけないことがある。君との時間は忘れない。君を危険にさらすわけには行かないから、ここでサヨナラだ」

娘は泣き崩れました。
泣いて泣いて泣いて一週間、娘はついに胸の痛みに耐え切れず、半ば家を捨てるようにして、生まれ故郷の村を飛び出し男を追いかけました。

こうして18の歳、娘は、愚かにも、全てを捨てて江戸へ上ったのです。


***


そして9日目―

いつものように僕たちが、お婆さんの家に向かっていると、後ろから足音がする。
僕たちがお婆さんの家に向かう時間は、通勤ラッシュが終わってちょうど仕事が始まるぐらいの時間帯で、割と通う道にはいつも人があまりいない。
そういうわけでなんだか気になって、振り返って見ると、それは、真選組の土方さんと沖田さんだった。

なぜだか嫌な予感がしてビクリと体が、彼らの黒い服に反応する。

「お前たちナンデここに居るアル」

銀さんを挟んで向こうに居る神楽ちゃんが、銀さんの手を握りながらそう言った。

「仕事だ。仕事」

「俺たち割と仕事熱心なんでさァ」

そう返事した二人の顔がいつもより少し真面目そうに見えて、かつ緊張しているような雰囲気があったので、僕はやはり少し怖くなる。

「おいお前ら近藤は?」

銀さんは前を向いたまま、いつもの調子を崩さずに、なぜか近藤さんの事を聞く。

「見えませんかィ?近藤さんなら山崎と一緒に前を歩いてまサァ」

沖田さんがまっすぐ前を指差して、僕たちはその方向をよーく見た。

ずっと遠く、前に、近藤さんと山崎さんの背中が見えた。

いつもはほんの少しだけ頼りになると思っている、黒い制服姿の2つの背中が今日はなんだかとても不吉に感じる。
前を歩く二人の様子は小さすぎてよくはわからないけれど、すぐ横を歩くこの人たちのように緊張しているようにも見える。

嫌な予感が収まらなくて茫然としてその背中を見続けていると、不意に、前を歩く二つの黒いシルエットが、

僕たちが、いつも曲がる角を、

曲がったので、

僕は真選組の仕事というのは何かという事も、
もし犯人を捕まえにいくのなら、その犯人は、男か女なのか。ということも聞けなくなって、押し黙った。

「やれやれ」

俯いた自分の頭上で銀さんの溜息が聞こえた。
かと思うと、急に手を握られてビックリする。

「行くぞ」

短い言葉の後に強く体を引っ張られて、僕と神楽ちゃんの手を握った銀さんが走り出したことを僕はやっと認識した。


お婆さん お婆さん お婆さん


約束の日まで今日を入れてあと二日ある。
お願いだから、せめて後二日、欲を言えばもっとずっと長く、平和な時間が続きますように。


***

全てを捨てて江戸へでた娘は、方々探し回ってなんとか攘夷派の志士が集うアジとにたどり着きました。

けれど娘はそこで自分が世間知らずの田舎娘であった事を思い知らされたのでした。

江戸に行く。と言った男は江戸にはおらず、それどころかそんな男は知らない。と皆口をそろえて言いました。
それだけではありません。娘の育った村とはまったく違って、江戸には人があふれかえっていました。
親を亡くして路上で暮らす子供がいました。
威張り腐って町を闊歩する異星人を見ました。
江戸の町はちょっと裏通りにはいるとゴミゴミとして汚らしく、ぴりぴりと穏やかではない空気が流れていました。

彼女はここにきて初めて天人という存在を意識しました。
攘夷の意味を考えました。


***


「お婆チャーン!!」


僕とは対照的に呼吸一つ乱していない神楽ちゃんの大声が、家の前で響き渡ったかと思うと、返事も聞かずに、ドアを蹴破る勢いで、僕たちは家の中に入る。
お婆さんの顔が早く見たくて慌てながら、けれどもしっかりと鍵を閉めたことを確認して、僕は一番最後に居間に辿り着いた。
いつもと同じ静寂。
いつもと同じ微笑み。
いつものようにジリジリと燃える電気ストーブ。
その全てが僕をほっとさせた。

「婆さん、今日はいい天気だし散歩でもしよーぜ」

頭をぼりぼりと掻きながら不意に銀さんがそう言う。

お婆さんは少し驚いた顔をして、そして、緩く頭を横に振った。
その表情の静けさがかえって僕には恐ろしく、まるでお婆さんはもう何もかも知ってるのではないかと感じてしまう。

「今日はお客さんがいらっしゃるでしょうから、せっかくのお申し出だけど遠慮いたします」

お婆さんの背中に纏わりついていた神楽ちゃんがギュッと彼女の服を握り、
銀さんは何とも言えない顔になって

「そうか」

と、だけ言った。

「お婆さ・・」

と言いかけた僕の科白をさえぎって

ピンポーン

チャイムが鳴る。

一斉に玄関のほうを振り向いた僕たちの不穏な空気を流してしまうかのように、お婆さんは優しい声をだした。

「新八君出て頂戴。大江戸ホテルからの届け物ですよ」
「でも・・」
「大丈夫。万が一ティータイムの最中にお客さんが来られても大丈夫なぐらい買っときましたから」

さっきからお婆さんが言うお客というのは誰なんだろう。
やっぱりお婆さんはきっと・・・。

「さぁ」

お婆さんの声は優しいけれど僕の体は立ちすくんだまま動かない。
ああもう我慢できない。
気づかないフリも黙って見過ごすこともできそうにない。

「お婆さんっ!あ・・・」

意を決して前を向いた僕は、向かい合った老婆の瞳に、安堵する少女の光を見て、息を呑む。

「ずっとこうなることを本当は望んでいたのよ」

視界の端に映る赤い小さな電気ストーブが、シューシューと老犬の呼吸に似た音をたててスチームを吐き出した。
それは、近くでじっとしていると服を焦がすほどの熱を持つくせに、部屋の空気を暖めるには力が足りず、僕は今こんなにも震えるほど寒いというのに、少し離れたところにあるが故にそれは僕の体を少しも温めやしない。

「さぁ、ね」



***

少女は一時の恋に心を燃やして生まれた故郷を捨てました。
それが故に少女には帰る場所がありませんでした。

少女は、テロリストになりました。

そして、10年の月日はあっという間に流れました。


その間、沢山の無意味な血が流れ、沢山の命が少女の目の前で散ってゆきました。
けれども彼女は正義を妄信していました。
いまや少女と呼ぶには不釣合いな、大人になった女には、最愛の恋人がいました。
彼はその組織の中心人物でした。
女も知らず知らずの内にまた組織の中心人物になっており、彼女を取り巻く世界は日々猛烈な速さで変化していきました。
入れ替わっていく同胞(なかま)。
移り変わっていく町。
失われていく刀(魂)。
まだ若かった女は激しく怒り、それをぶつけて生きていました。

***

お婆さんに促されて僕は玄関をあけた。
時間帯が違うからだろうか、いつもと違う宅急便屋さんにサインをして長特大の箱を抱えて、僕は再び少しの間立ち尽くした。

***

それでも女は幸せでした。
愛する男と共に生きる充足感に満たされていたからです。

けれど、やはり、そんな幸せは長くは続きませんでした。


・・・

・・・・・・・


ある日最愛の男は死にました。


天人と裏で通じているという黒い噂があった幕吏暗殺に失敗し、殺されたのでした。


***

「おーい新八。早く。茶〜」

立ち尽くしていた僕は銀さんの気の抜けた声にハッとして、自分を取り戻した。

「モウ銀さん。早く食べたいならお茶ぐらい自分で淹れたらどうなんです!」

「あーあんなかったるいもん淹れてられるか」

まったく・・・銀さんと、き、たら・・ここに来ても・・・・・どこに、居ても、ぐー、た、ら、で。

「お婆ちゃん。黄昏女聞きたいアル」

神楽ちゃんが神妙な顔をしてお婆さんの隣に座り込む。
恐らく最後になるであろうティータイムの、紅茶は、僕が淹れる事になった。

「昔、昔、あるところに・・・」

神楽ちゃんはお婆さんの横で、銀さんはソファーで、僕は台所で湯を沸かしながらお婆さんの話にじっと耳を傾ける。
お婆さんがやっていたように、ポットを温めて、紅茶の葉をいれて、お湯を注ぐ。
茶葉がお湯の中でゆったりと舞い、赤い液体が透明のお湯を染めていく。

お婆さんの声は落ち着いていて静かで、「少女は」と彼女が言った声に刺激されて、僕は、先程お婆さんの中に見た少女の光を思い出してしまった。
僕はお婆さんが少女のことをテロリストと言っていたのを本当は心のどこかで気にしていた。
攘夷を唱える人々は大抵自分たちのことを「志士」という。
テロリストではない国を救う「志士」なのだと。

「ずっとこうなることを本当は望んでいたのよ」

江戸黄昏女を語るお婆さんの声をBGMに、お婆さんの科白を頭の中で反芻して、僕は迂闊にも涙ぐむ。
いつの間にかポットの中では茶葉が葉を広げて底に沈み、お湯は紅いお茶になっていた。

「できましたよ」

今僕が目元を拭ったのは、きっと湯気のせいだ。
そして僕は、テーブルに移動した所作でお婆さんの話が途切れて少しほっとする。


ピンポーン

再びチャイムがなったのは、残り少なくなったケーキをかけて僕たち3人がジャンケン(もしくは掴み合い)をしている最中だった。
互いの服やら髪やらを掴んだまま僕たちはそろって固まり、立ち上がろうとしたお婆さんを止めた。

「婆さん新八が行くからアンタ出るな」
「なんで僕って決まってるんですか?!ああ、でもお婆さんはここに居て下さい」
「そうアル。私とお婆ちゃんか弱い乙女は中に居るべきアル」

「・・・」
「・・・・・・」

「なんで無言アルネ!!」


お婆さんは軽く笑い「じゃあ」というと神楽ちゃんの手を引いていつもの揺れる椅子に向かう。
残された僕と銀さんは顔を見合わせ、諦めたように溜息をつくと玄関に向かった。

「新八びびビビってんじゃねーぞ」
「僕はび、ビビッてなんかいませんよ。銀さんこそ」
「バーロ俺のはハシカだよ」
「麻疹ってアンタ意味わからないでつかってるでしょ!!」

僕たちは酷く動揺していて、銀さんのボケも僕のツッコミもいまいちうまくない。
それでも仕方なく震える手(ビビっているわけではない)でドアを開けるとそこにはやはり、案の定、つまりともかく、真選組の人達が別段驚きもしないで立っていて、それがなぜか僕にはとても悔しく思えた。

「あー何お前ラ?人んちに何かようデスカー?」

銀さんが気だるい調子で頭をかきながらそう言う。僕は困ったようにこちらを見た山崎さんと目が合い苦笑する。

「悪い、銀時そこどいてくれ」
いつになく真剣な調子でそう言った近藤さんの背筋はピンと伸びていて、
「嫌だって言ったら?」
僕と銀さんに「覚悟を決めろ」と迫っている様にすら見えた。

「お前は嫌と言わないさ」

にべも無くそう言った近藤さんに続いて山崎さんも土方さんも沖田さんも中に押し入ってきて、抵抗無くそれを許してしまった自分に腹を立てたのか銀さんは黒い背中を見送りながら

「不甲斐ないねぇ」

と、呟いた。

あのお婆さんが、何もない、ただのお婆さんなら、僕たちはこんな横暴許せなかったのだろう。けれど、あのお婆さんは確実に何も無いお婆さんではない。2日前銀さんはあの宛名も宛先も送り主の名も無い真っ白な封筒の中身を盗み見て、「ヅラの筆跡だ」と言っていた。
江戸黄昏女の内容も、幕府要人暗殺事件のニュースを見るお婆さんの目つきも、"黒"であることを物語っていて、お婆さんが聡明な人だけに僕は胸倉を掴まれたような最悪の気分になる。

「せめてクソババァだったら良かったのにな」

銀さんが隣で苦い顔をした。
リビングからは暴れて物が壊れるようなけたたましい音がしている。神楽ちゃんの懐き様を思うと僕はさらに胸が痛んだ。

**

そして−

あれから3日がたった。

電気ストーブの前で寝てしまった神楽ちゃんに毛布をかけて電気ストーブの電源を切る。
真っ赤に燃える電熱線がゆっくりとその赤い色を失う様を見て僕はまだ酷く動揺する。


あの日あの時の、物を壊す音は暴れる神楽ちゃんと沖田さんの戦う音で、真選組のお婆さんに対する態度は驚くほど紳士的なものだった。

もちろんお婆さんが自首に近い形で捕まったことが大きな要因で、山崎さんが後で「彼女が僕たちにそれとなく自分が犯人だってことを教えてきたんだ」と教えてくれた。


「それでも結局その娘は、男の代わりを勤めるかのように組織に残り、攘夷のために戦い続けるのでした。胸に男の復讐を誓い紅い赤い炎を燻らせて」

物語の最後を語るお婆さんの言葉を思い出して、僕は今、彼女は自分の人生がこの電気ストーブのようなものだったと感じていたのかも知れないなんて哲学的な事を思う。

(近くでじっとしていると服を焦がすほどの熱を持つくせに、部屋の空気を暖めるには力が足りない。)

攘夷も正義も僕にはよくわからないけれど

「復讐だなんて・・・ね・・・」

そう言ったお婆さんの科白を忘れることはないと思う。

やりきれない悲しい気持ちがまだ僕たちの中にはある。反動のようにあの次の日から銀さんは、外をほっつき歩いているし、神楽ちゃんは何かとストーブにあたりたがる。

僕は・・僕は・・・


その時僕の手が、整理していた新聞類の中に、真っ白の、そう、宛名も宛先も送り主の名も無い封筒を見つけた。

引きちぎるようにして封をあけ、手紙を見た僕は、今度こそ迂闊にも涙を落とす。




「拝啓万事屋様

この手紙が届く頃には全てが終わっているでしょうから「ありがとう」からはじめなければいけませんね。
貴方たちに出会えて本当に良かった。ということから・・・」







 

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攘夷の意味