地下道にて


 もう少なくとも5分は歩いているというのに、まだ出口が見えない地下道の中は、薄暗く、澱んだ空気が篭っていた。俺たちの黒い革靴は、コンクリートで固められた地面に、片足ずつ、着地する度、寂しい音をたてた。
 神経をずっと集中して、聞き耳をたてると、遠く背後の方で、微かだが、人間の気配がする。神経を集中しなくてもいいような至近距離からは、女のヒールがたてる不機嫌な足音がしていた。
 長い長い地下道は、不気味で粘着質な静けさをたたえている。ようやく僅かに見え始めた出口までは人影も無く、俺は、俺たちの足音よりもずっと速いテンポで近付いて来る女の足音が、俺たちを抜かして、通り過ぎていくのを待っていた。
 隣を歩く近藤さんは、この地下道に入ってから、ほとんど口をきかず、壁や天井や、そして、下ばかり見ていた。その肩に乗せられている、物騒な金属の筒は、近藤さんがキョロキョロと身体を動かす度に鈍い光を放った。
「側溝がねェんだよな」
 不意に、近藤さんが唸るようにして呟いた。女の足音に集中していた俺は、思いがけない、しかも声とギャップのある言葉に、意味が掴めないで、首をひねった。
「は?」
「側溝がねェんだよ。この地下道。だいたい規則的な感じで、排水穴みたいなのが何箇所かあんだけどよぉ、排水どうしてんだろ?こんなに長い地下道なのに」
 知るかそんなの。
 俺は、そう言われて、はじめて、地下道の端を見る。確かに、地下道の両脇には側溝などというものはどこにも存在せず、少し離れたところに、排水穴らしき銀色の蓋がされた円形の穴をみつけただけだった。
「驚きだろ?」
「ああ、そうだな」
 驚きなのは、驚きなのは、だ。近藤さんがそんな細かい事に、この長い地下道を歩く間気を取られていたということだった。近藤さんとは、長い付き合いだが、そんな事を気にするような人だとは知らなかった。地下道の側溝が、あるとか無いとか。後ろから、敵が、近付いているという時に。
「あとな、妙に足音が響く」
 そういうと、事もあろうに、排水穴のところで近藤さんは立ち止まった。排水穴を覗き込み、周りを、足で何度か叩いた。ターンという音をたてて足音は、薄暗い地下道に、響き渡った。
 ゴホンと咳払いをする声が聞こえたので、俺は、顔を上げる。ちょうど、ハイヒールを履いた女が俺たちの横を怪訝な顔で通りすぎていくところだった。やれやれと思って、近藤さんの方を見ると、近藤さんも顔をあげて、女の背を見ていた。
「アンタが妙な行動とるからだぞ」
 側溝とか、排水穴とか。
「俺は、絶対トシのせいだと思うぞ」
「なんでだよ」
「地下道で煙草はルール違反だぜィ。土方君」
 ああ。
「ウルセー」
 それは、一理ある。というか、女も、こんな長い地下道で、帯刀して、肩にバズーカのせた、黒い服の男二人組みと一緒になるなんて、さぞかし嫌な気分がしたことだろう。とはいえ、俺たちの方は、女が地下道にはいるタイミングを見計らって、ここへ入ったのだが。
 俺たちは、女と自分たちの間に一定の距離が開いた事を確認すると、歩き出した。後ろの気配はまだ静かだ。
敵は、表向きは綺麗ごとばかり並べたがる攘夷浪士の一派だったので、一般人の女を巻き込むのを嫌がるだろう。という読みは、当たっているようだった。敵が俺たちを地下道に追い込もうとしているのを知って、俺たちはここに入った。地下道の半分を過ぎた時点で、女が俺たちの後ろに居続けた場合、奴らが襲ってくる可能性が高かったので、俺たちは女が、俺たちを追い抜かすよう、わざわざゆっくり歩いたわけだ。
こうなった以上、女が出口を登りだした時が敵さんの合図になるだろう。恐らく外には、少なくとも今ある気配の倍の人間が待機しているはずだ。入り口にも、出口にも。俺なら、間違いなくそうする。
「あのお姉ちゃん、足、綺麗だよな」
「あんまジロジロ見んなよ」
 歩き出した近藤さんは、今度は、驚く必要なんて少しもない、聞きなれた科白を口にした。俺は、なぜかほっとして、溜息をつく。
「妬いた?」
「妬くか。馬鹿」
「ふーん」
 そんな事で一々妬いていたらきりがないと言うのに、近藤さんは、隣でニヤついている。何が嬉しいんだと思って、俺は、近藤さんのケツを叩いた。
「ちょ、やっぱ妬いてんだろ」
「やかねーよ。アンタの女好きは今にはじまったことじゃねーしって、オイィ!!」
 急に、近藤さんの手が伸びてきて、ケツをつかまれた。俺は、今度こそ心底驚いて、不覚にも少し、ほんの少しだけ赤くなった。
 俺たちは、もう長い付き合いで、テンパってる時も、死にそうになってる時も、馬鹿丸出しな時もその全てを知っているというのに、この人ときたら、俺の予想をはるかに超えたところで、いつも生きている。
 敵に挟まれている、長い長い地下道の篭った空気の中で、まさか、側溝が無いなんて、事を、考えていたなんて。敵の前で、ケツくりあうなんて。
   女の足音が、小さくなって、背後がざわつきはじめた。
 俺たちの足音は相変わらず、寂しく響き渡っている。
 ターン、ターン、と、音をたてて、反響している。
 腹に力をいれて、背を伸ばすと、隣の男の微かな殺気(やる気)を感じた。
「排水穴の水さ、どこへ流れていくのかな?」
「そりゃ、この下に、でかい排水管が通ってんじゃねーの?アンタさっき何確かめてたんだよ」
「やっぱり。トシもそう思うか」
 ニヤリと笑うと、隣の男は、肩に担いでいる、金属の筒を、担ぎなおした。彼がそれをぶっ放した時におこる被害を思うと頭が痛いが、まぁ細かい事を言っても仕方ない。
女が階段を登ったら。
 その鈍い光を見ながら、俺は、近藤さんと二人なら負ける気がしないのだから、今更ながら不思議といえば不思議だと思った。




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