縁側綺譚












一度、猫が物を言ったのを聞いたことがある。







まだ多摩の道場の頃のこと。



「どきやがれ、これは近藤さんの布団でィ」



渡り廊下を横切る時、縁側の方で声がした。

首を伸ばすと沖田が布団を干しているところだった。



「寝るなら土方さんの布団にしろィ」



布団の上で丸くなった野良猫を本気で咎めるようなその声に、

微笑ましい気分で通り過ぎようとした時



『やだね、こっちの布団がいい』



という濁声が聞こえ、しゅっという音がした。



振り返ると沖田が柿の木の向こうに跳躍する黒い猫めがけて

はたきを投げつけていた。



「総悟、どうした」

「図々しい猫の野郎が近藤さんの布団にノミをくっつけようとしたんで

追っ払ったところでさァ」



いつもと変わらないけろりとした表情の沖田に、それ以上問いただす気が

しなかったが、あれはなんだったのだろう。









「近藤さん、シラガ抜いてあげますぜィ」

「ええっ?!いいよ、無いからきっと」

「分かりませんぜィ。どうすんです、放っといて万事屋のダンナみてえに

総白髪になっちまったら」

「それはイヤだ、、、」

「そうそう、武装警察真撰組の局長ともあろうお方が総シラガじゃ

締まりませんからねィ、さあ座ってくだせえ」



にこにこしながら日当たりのいい縁側に座布団を敷いて手招きをする

沖田はまるで孝行息子のようだが、前にたった一本だけあったシラガ

(といってもちょっと灰色っぽかっただけなのに)を目敏く見つけて

からというもの、かなり頻繁に「シラガ抜いてあげまさぁ」と座らされ

頭をいじくられることになった経緯は今イチ腑に落ちない。





「近藤さんの匂い、オッサンぽいですねィやっぱし」

「えっマジ?!シャンプー変えたのにい!クサイの、それってやっぱ?」

「俺はキライじゃねえですよ、でも女衆にはどうですかねィ」

「ぐああっお妙さんにますます嫌われるう、、、シーブリーズにすっかなもう」

「すーすーしますぜありゃあ」



沖田の指が優しく梳くように近藤の髪をまさぐる。

真撰組随一の剣客とは思えないその手は子どもっぽい柔らかささえ

残して、テロリストを一刀のもとに斬り捨てる非常さの面影は無かった。



「日が、長くなりやしたねィ」

「ああ、もうすぐ春だなあ」

「道場裏の荒れ田んぼ、今も菜の花が満開になるんでしょうかねィ近藤さん」

「ああ、懐かしいな。あの菜の花畑でかくれんぼするのが好きだったなお前は」

「今でも好きですぜ、かくれんぼは」

「お前のはサボリってんだよ総悟」
「言われちまったィ」



声を合わせて笑うと、かつての思い出が陽炎のように現れる心地がした。

幼い沖田、手を引いて歩く自分、そのしばらく先を歩く土方の背中。

あの小さな子どもが水際立った剣の腕を見せ始め、道場きっての剣の使い手に

成長した頃に突然やってきた廃刀令。

嫌も応も無く道場も閉めねばならず、大人数を抱えてどうすればいいか

悩み抜いた日々。



「江戸へ登ろう」



自分の無謀とさえ言える決断に何の迷いも見せずに着いて来た沖田が

自分の預かり知らぬ所で幾多の血を浴びていることを近藤は知っていた。

土方と沖田、この二人がどれだけ自分のために人を幣してきたかを

思うと近藤は「真撰組局長」という今の立ち位置が果たして自分に

ふさわしいものであるかという痛みに近い責任を覚えた。





「何を考えてるんですかィ近藤さん」



すり、と頭に頬ずりされたような感触に我に返ると沖田が後ろから

近藤の頭をかき抱くように緩く抱きしめていた。



「どうした総悟」

「シラガ探してたら目が回ってきちまったんですよ、近藤さん毛髪量だけは

多いですからねィ」

「オレの大事な財産だからな」



勘の聡い沖田は近藤の物思いを誰より早く察する。

土方と違い、近藤の懐に飛び込んで「オレがついてまさぁ、近藤さん」と

真っ直ぐに見上げてくる沖田の、まるで親を案じる子どものような一途さを

ああ、俺が守ってやらねばと愛おしく抱きしめてきた。

いつだっただろう。

抱きしめていた子どもが計り知れない力で自分を抱き締め返すように

なったことに気づいたのは。

その目が、思わずたじろぐほどの情熱を伝えてくることを知ったのは。





ばさばさと羽音がして、塀の上に鴉が止まった。





あっち行きやがれィ、と小さな声で呟いた沖田に近藤はふと物を言う猫の

ことを思い出した。



「総悟は動物と話せるのか」

「なんでそんなこと聞くんですかィ」

「お前は俺の知らないことをいろいろ知っていそうだからなあ」

「オレぁ土方さんを亡き者にするために外法であらゆる妖魔を呼び出して

ますからねィ、動物と話すなんざ朝飯前でさぁ」

「お前が言うと冗談に聞こえないよ総悟」

「冗談なんかじゃありやせん」





くすくす笑うような沖田の声が近藤の髪を震わせる。





「お前らホントは仲いいクセに。屯所に罠しかけんのも止せよ総悟、ありゃあ

危なくって仕方ないぜ、大抵被害者はトシじゃねえしよ」

「土方さんが大人しく副長を退いてくれりゃあすぐ止めますよ」

「一番隊隊長はお前だから任せてるんじゃないか総悟、トシは隊長向きじゃ

ねえんだよ。トシが局長でお前が副長なら分かるけどな」

「死にたくなるようなこと言わねえでくだせぇよ近藤さん」





近藤さんが局長だからオレぁ副長になりてぇんですよ。

後ろから着いていくんじゃなくて、隣に居たい。

もっともっと近藤さんの傍に行きたいんでさぁ。



つっと首筋に爪を立てられたのに近藤は気づく。





「ここまで」



すっと爪で線を引かれる。剃刀のような感触。





「ここまでなら近藤さんは笑ってくれる。ここに居てくれる」





くっと、歯が首に食い込む。





(でも、こっから先に踏み込もうとすると

 目に見えない衝立てをすっと置くみてえに

 遠く

 遠くにいっちまう

 笑顔のまんまでねィ)





今、後ろを振り返ったら何が見えるのか。

殺気よりも得体の知れない何かを纏った背後の存在が自分を抱きしめる腕の力。

本能が危険を伝えてくるのを、近藤は意志の力で押えつけた。












幼かった子ども。

明るい色の髪と目を持つどこか不思議な子どもだった沖田。

飄々として達観したような所が年にそぐわず、喰えない奴だと早くから道場でも

皆に一目置かれる存在だった沖田。

誰も踏み込めない心の奥がそのとき近藤は見えるような気がした。

空の彼方に手を伸ばすごとく自分だけのものにならない存在を欲する子どもの

いつまでも変わらない悲しみ

いつまでも変わらない幼い姿









総悟よぉ。









「いつだって俺はお前のすぐ傍にいるじゃねえか総悟」







笑って沖田の腕を叩く。

沖田の腕から力が抜けていく。

それでも背中からかき抱いたまま息を吸い込むと

ふいに胸がつまるほど

懐かしい

慕わしい

狂おしいほどに愛しい

近藤の匂い



近藤の耳元に吐きだれれる沖田の呼吸は押し殺したように低く、

泣き出したいのをこらえてるような震えを帯びた。

ぽんぽん、と軽く叩き続ける近藤の手のあやすような優しさを沖田は胸の痛みと

ともに飲み下す。

近藤さんには、かなわねえ。分かっていたけど再確認でさぁ。







「そろそろ廚に行こうや。もう夕餉時だ」

「まだでしょ、さっきおやつ食べたばっかしですぜィ」

「おやつ食べたのはお前だけ!俺今日炊事当番なんだよ」

「じゃ手伝いやす」

「おう、助かるよ」





立ち上がり、ぎゅっと沖田の手を握って引っ張る。

すとん、と胸のなかに落ちて来たまだ一回り半小さな体を抱きしめる。

この腕がある。この胸がある。

誰のものにもなれないが、いつでも受け止める場所があるんだ。

それを忘れんじゃねえぞ、総悟。





さっきとは違い正面から伸ばされた沖田の両腕が近藤の首筋に回り、

思い切り抱き返してくる。














許してくだせぇ



こんなに好きで

こんなに近藤さん、アンタだけで

俺の世界は本当に、近藤さん

アンタだけで







近藤さん



一生 アンタを好きでいいですかィ





(ああ、いいよ)







目を閉じて抱きしめながら、聞こえない声に耳を澄ます。









そして、いつものように笑顔を交わし合ってから廚に向かって歩き出した。

屯所のざわめきは夕方近くのあわただしい人いきれとなって二人を普段の

日常に溶け込ませていく。













近藤と沖田が去った縁側で、温もりの消えた座布団から猫の形をした影が起き上がり、

くぁっと伸びをして一飛びで姿を消した。





塀からは鴉がふいにばさばさと、大きな音をたてて夕空に飛び去った。







(終)





 

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みどりさんから頂きました。感謝!猫がこっちの布団がいいと言ってるとこが凄く好きです!不思議温かいお話。本当にありがとうございます。