あーこいつ黒子に見えねェかな。黒子に
黒い路上を歩く己の足音が、遠い昔の記憶を掘り起こし、胸の奥が乱れて軋む、そんな馬鹿げた夜だった。
時折、思い出したように、雲の隙間から顔をのぞかせる月の明かりが、雨上がりの路面を照らす。
湿った空気が、肺に重たい。
浴びるように飲んだ酒で、足が重たい。
わけもなく、昔つきあっていた女の事を、俺は思い出していた。
こんなこと思い出すなんて、自分でもどうかしている。
今となっては本当に惚れていたかどうかさえわからない、そんな女なのに。
あの日も雨上がりの夜だった。
随分昔のことだ。
今よりもずっと若くて、ずっと尖がっていた頃の話。
あの時の俺は、今となっては、なぜだかさえわからないけれど、女にモテた。
今の俺よりも、まだもっとさらにどうしようもない馬鹿で冷たい男だったんだけど。
思い出の中の女は、雨上がりの夜道をうつむいて歩いている。
そうだ。ちょうどこんな風に、暗い川沿いを俺たちは歩いていた。
俺は、たしか、彼女より少し前をブラブラと歩いていたはずだ。
手もつながず、後ろを振り返りもせず、その癖、彼女を置いていくわけでもなくて、ああ、酷ェ男だな。そりゃァもう。
胸の奥がズキリと疼いて、俺は、小さなため息をついた。
立ち止まり、黒々とした川の流れに視線を向ける。
小さな川は、さっきまでの雨の影響で水かさが増していて、なんだかいつもと全然違う。
轟々と暗い。
息が苦しい。
「銀ちゃん」
女が立ち止まったのに気付きもしないで、先を行く俺を呼び止めた、彼女の声は小さかった。
川から涼しい風が吹いてくる。
前髪がふわりと浮いて火照ったデコの熱が抜ける。
俺が悪かったのかもしれねェーな。
なんて、野暮なこと、今更になって思うのは、歳をとったのせいなのか、女にモテなくなったせいなのか。
でも、あの頃の俺は、返事もしないで振り向いた。
立ち尽くす彼女の心細そうな肩に気づいていながら、手を触れようとさえしなかった。
「どうしようもねェよな」
馬鹿でか粗野な自尊心もどきを撒き散らしていたあの頃。
そんな事、思い出したって後の祭りってやつなのに。
今頃になって胸が痛い。
寂しいような心細いような気持ち、今なら解る。
雨上がりの、濡れた路面と、黒々とした川と、青白い月明かり。
心細いのは、
心細いのは、俺かも知れないなんて、バーカそんなんじゃねぇっつの。
奇声をあげて走り出したいような気持になって、仕方がないから頭をかく。
万事屋(いえ)までは、まだ遠い。
小走りで、川沿いを急ぐと、不意に見知った人影に気づいた。
格好だけは、忍か黒子かっつーぐらい黒いのに、闇にまぎれるどころか存在感たっぷり浮いていて、ただでさえ助平なアホ面が、だらしなく緩んでる様さえ目に浮かぶ。
くわえている煙草の明かりに寄せられる虫みてぇに、気配を消して近づけば、月明かりに照らされたその眼が上機嫌に潤んでいる様が見れた。
ああ、なんだろうこの気持ち。
ホッとしたような、泣きたいような、恥ずかしいとこみられたような。
もちろん相手はまだ俺に気づいてないんだけど。
いやこれほんとコレどうしてくれようか。
「あんのゴリラ」
とりあえず蹴飛ばしてやるかと理不尽な気持ちを抱いて、俺は、その男に近づいた。
声もかけずに、ケツを蹴ると
「うぉっ」
男がいかにも間抜けな声をあげる。
「なんだ万事屋。お前も今帰りか?」
振り向いて俺の顔を確認した瞬間、上機嫌は上機嫌らしく顔中が崩れるような笑みを浮かべて、俺は気持ち戸惑った。
「うっせェバーカ」
「なにお前。その不機嫌。わかった!!パチンコですったんだろ?ったくお前のギャンブルはね、引き際が悪ィんだよ」
何がわかった!だ。こんのゴリラ。何にも分かっちゃいねーよお前は。何にも。何一つ。これっぽっちも。ああ、クソッ。何思ってんだ俺は。
「・・・・・・」
「ん?どした?銀時?腹減ってんの?」
「減ってねーよ」
なんでどうしてそうなるんだ。馬鹿ゴリラ脳みそ筋肉め。あーもうそんなこと言うなら食うぞお前を。食うぞ。食ってやる。
ムシャクシャした気持に任せて、近藤の襟をつかみ引き寄せる。
「うわッ!危ねェ」
口にくわえていた煙草をとっさに手で放り投げて、あとはバランスを崩してなすがままの近藤を、抱き寄せると、近藤がふと優しい目をして肩の力を抜いたのがわかったので、なんとなく口づけられずに俺は勢い近藤に抱きつく。
「どうしたんだよ?銀時」
近藤の手が無遠慮に頭に触れた。肩越しに聞こえる声が優しくて、まるでこいつがこいつにベッタリの部下を甘やかす時のように優しくて、ああ息が苦しい。
「煙草ポイ捨て現行犯だぜおまわりさん。銀さんゆすっちゃおうかな」
「何言ってんのお前。ああもうこれだからSって奴は」
「ああ?お前んちの馬鹿どもと一緒にしてんじゃねーぞ」
「かわらねェんじゃないか?お前ら」
ゴリラとは会話にならねェから俺は黙る。やっぱり食うか。美味しいかどうかは別にして、美味しく頂くか。むしゃくしゃしてるしな。
「煙草吸う?」
「吸わない」
いらねェよ。そんないかにも誰かさんのための煙草、臭いを嗅ぐのも嫌なぐらいだ。
「あーやっぱり」
なら聞くな。
男が二人路上で抱きあってるなんてなんだか歓迎しねーがでも、こいつはこんな時ばっかりは温かくて困る。離れられなくなったじゃねーか。あーこいつ黒子に見えねェかな。黒子に。気配けせよ。気配。お日さんみたいな、その、気配。
「しょうがねェな」
声がしたかと思うとキツク抱きしめられた。頭に手が回って、髪の毛を、なんの断りもなく力強くかき回される。
熱い。アツい。胸が苦しい。
目を瞑るとそのうちにふと涼しくなった。俺から離れたゴリラが、俺の眼を見て笑っている。
俺は奴から視線を外すときまり悪くなって頭をかいた。
余計な事すんじゃねェ。と、ありがとう。とを選び損ねて唸っていると、今度は手を握られる。
驚いて顔をあげると、また、こいつは笑っている。
「やるよ。やっぱ腹減ってんだろ?」
手の中に、イチゴミルク飴。
「あ?」
「それ、お前用。ちょっと溶けてるかもな」
ああ、クソッ
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そういうのズルイ