昼下がり











遠く灰水色の空が広がっていて、ああ春も遠くねえなと銀時は伸びをする。

江戸下町の昼下がりは喧噪に満ちて、でも時々ぽかっと真空のような空白が生まれる。今みたいに。
仕事も無い金もない予定も無い、、、、、とりあえず昼寝して起きたらぶらっと
一回りして帰ろう。ババアが家賃回収諦めるはずはないが、無い袖は振れねえ。

目を閉じると眼裏に銀色の波が押し寄せてくる。明るい闇。
もう遠い過去の残像がいつも現れる刹那、眠る前のこの一瞬の疼くような痛みをやり過ごして深く落ちていく。
否、浅く漂っていく。遠く、どこまでも明るく人の居ない銀色の浅瀬を。



塗料のはげたベンチに仰向けになっている見覚えのある人影に近づいた近藤は、真上からしげしげと見下ろした。

「おう万事屋。こんなトコで寝こけると凍えるぞ」

穏やかな死体のような銀時はぐにゃぐにゃと揺すぶられるまま眼を開けない。

「起きろってば銀時!!浮浪罪でしょっぴくぞ!!」

薄く眼を開けると逆光の中に黒い制服を纏ったいかついシルエットが浮かぶ。
つかまれた腕、怒鳴るようなその声に現実に引き戻されて瞬くと、軽くぽかりと頭を殴られた。
あ、目が覚めたマジで。


「ようゴリさん、見廻りごくろう」
「ごくろうじゃねえよ、こんなトコで寝くさって仕事ねえのか万事屋は」
「あったらこうしちゃいねえよ」
「どーだかなお前は」

起き上がるオレの隣に腰掛ける真撰組局長は方頬を腫らしている。
おー痛てえ、とソレを撫でながら空を見上げてうーーーんと伸びをする。
こいつは呑気で明るい大きな木みたいなところがあって、その太い幹や
広げた枝や繁った葉の隙間からいつも木漏れ日みたいな眩しい光が射している。
呑気な大木、ウドかもしれねえ。
自分が他人をイライラさせてんのにも気がつかねえ大木野郎。

「それお妙か。おめーも懲りねえこと夥しいな、学習能力ねえのかゴリラって」
「ゴリラは賢いんだぞバカにすんじゃねえ!それからお妙さんの鉄拳には愛が あんだからいーんだよ」

オレの生きる活力だもんねー、と満足そうに頬をこする。よく見ると下駄の跡だな、 鉄拳が聞いて飽きれらあ。痣作って血ィ滲ませて、真撰組の連中の心境思うと同情 禁じ得ねーよ銀サンも。


「なんで見込みねえ女に通い詰めんだよ、ケツ毛でもゴリラでも真撰組局長なら 他にアテあんだろ」
「バーカ、愛ってもんを分かってねえな万事屋。振りむいてもらえるかどうかより オレがお妙さんに惚れてるってことが大事なんだよ」

分かったような口聞いて満ちたりたような顔してる近藤を見ているとなにか底の方で スイッチが入りそうになる。もう切れたはずのスイッチ。なにもかもめんどくさい、 ジャスタウェイ作って一生終わってもいいと思ったときにはなぜかこいつが隣に いたっけ。

「おめー知ってんの?お妙が父親の道場再興しようとしてキャバクラ勤めてんの」
「ああ、新八くんに聞いた」

人を宛てにしないで自分で頑張るのがお妙さんらしいよなあ、そんなトコも実に ステキだよなあ、お前もそう思わねーか銀時よお、あっでも惚れんなよ!横恋慕は ダメ禁止!!バーーーーカ誰が惚れるかあんな凶暴ハーゲンダッツ妖怪女に、なにっ お妙さんの悪口言いやがったら、、、、もがもがもが。
喧しい口にウンザリしたんで塞いでやった。目ェ白黒させやがって無邪気にも程って もんがあるよね、銀サンもうやんなってきた。


「おめーも道場持ちだったんだろ。あのムサい連中連れて江戸に登って真撰組んなってよ、 大した出世じゃねーの。アレか。同情か。お妙が女だてらに道場再興しようと頑張ってん のが放っとけねーって」
「そうじゃねえよ」

低い声で遮られて沈黙が降りた。近藤は靴の先を見つめている。ひどく寂しい表情。
そんな顔を隊士の前じゃ見せねえようにしてるんだろうと察しがつく。

「おめーズルいんじゃねーのゴリさんよ。わざと自分に陥ちない女ばっか追いかけて んだろ、そうすりゃ安全だから。誰にでも平等でいられるように隠れ蓑にしてんだろ」
「黙れ銀時」

こいつを貪ってやりたい。欠片も余さず。
この明るく温かい日溜まりのような存在を捕まえて押えつけて、俺の中にある銀色の 海みたいな真空の場所に閉じ込めたら満たされるんだろうか。
高杉よォ、お前の中にある虚無の深さはわからねーけど俺たちがみんな持ってる 空っぽの脳の穴。
そこに何かを埋めたいと思うのが俺で、何もかもを壊してぇと思うのがお前かもな。
例えば、この近藤を取り上げたら、近藤を失ったら、近藤を取り巻く連中はみんな 俺たちみたいな穴を抱え込むことになんだろう。
でも当のこいつは分かってねえ。
自分より他のやつの命を優先するようなところが死んでも直らないヤツには まさに死んでも分からねえ。
分からしてやりてえと思うのは俺だけじゃねーっつうか、きっとそんなヤツ ばかりだろう、こいつの周りは。
人をイライラさせるこの男をメチャクチャにしてやりたい、ってね。

(でも、銀サンは大人になっちゃったのでそんな衝動に身を任せたりしねーのよ)


「あ、傷ついちゃった?ゴリさん泣いてる?」
「だれが泣くか!言いたいこといいやがって」
「お妙はよお、誰かに寄っかかっちゃうと立てなくなるから突っ張ってんだから あんまりちょっかい出さねーでやれや。ゴリさんの気持ちも分かるけどよ」
「銀時ィ、お前ホントはどっち?お妙さんが好きなの?それとも俺を苛めたいだけ?」
「もちろんゴリさんを虐めたいだけー」
「なんか字がヤバさを増してるんだけど」
「ね、ゴリさんMなんだよね。こんどやろうよSMプレイ。銀サン一度やってみたかった んだー拘束プレイとか、ゴリさん縛りがいありそうだし」
「絶対やだ!!!第一おまえあの子がいるじゃん!!あのさっちゃんさんが!!二人で SMプレイやってればいいでしょ俺巻き込まないでっ」

元気を取り戻してぎゃあぎゃあ喚き始めた近藤の首に腕を回して引き寄せても殆ど 抵抗が無い。人に触られること、近づかれることをこんなに拒否しない男も珍しい。
銀サンはね、ほんとはダイッキライなんだよ触るのも触られるのも。
でもやっぱり冷えきった体温は温かい日光を求める。
死んだような気持ちでいても目は光を追う。
誰かと居ることを選んで、くだらない日常を選んで、こうやって。
高杉ィ、俺はまだこの世に未練タラタラなのよ、こんな風に。


「おっとSMプレイはこっちの管轄なんでねィ、近藤さん返してもらいやしょうか」


声と一緒にすい、と白刃が割って入って来た。近藤の頬に伸ばした手の3センチ手前。

「そっ総悟ォォ!!危ないでしょおお真剣で!!!」
「危ないのは近藤さんの方ですぜ、すぐ帰ってくだせえ。松平のとっつぁんがまた 痴漢容疑で捕まったってんで屯所じゅう大騒ぎでさあ」
「なにー?!!またかいとっつぁん?!!おう万事屋、またな!」

ばたばた走り去っていく足音。最後まで騒がしいヤツだねと見送る目線の先に またすっと白刃が入ってきた。

銀色の鈍い光。記憶に馴染んだ刃の輝き。

近藤と一緒にいたときには凪いでいた自分の内側の海がまたうねりはじめる。
遠い終わりの無い潮騒の音。


「物騒なものはしまいなさい沖田くん。どーすんの局長サンもう行っちゃったよ」
「ダンナとは色々気が合うと思ってんですがねィ、たまに勘に触りまさあ」

近藤さんは真撰組のモンなんでねィ、抜け駆けはいけやせんぜ。

落ち着いて言う少年の色素の薄い瞳はこちらの視線を綺麗にはね返してなんの 表情も読めない。ただ一つ、抜き身の剣だけがマグマののような情動を伝えて くる。感情を越えた情動。すぐに血に飢えてしまう性を持ったものの情動。

あの局長サンは、自分がどんな奴らを惹き付けてんのかホントに分かってんのかね。

「ケッどいつもこいつもよー。なにかあ、真撰組ってのは乳離れもできねーガキんちょの 集まりですか。しかも母ちゃんじゃなくてケツ毛の生えたゴリラに甘えやがって抜け駆け 上等だコラ」

ガキ扱いすればこいつでもカッとなるか思ったけどそうは問屋が下ろさずに、ちらと こっちを見てチン、と刀を鞘に納めた。

「たしかに俺たちは近藤さんに甘えてますがねィ、その分覚悟もありやすから。 外側からちょっかい出すだけのお人にあれこれ指図されたかありやせん」
「へーえ覚悟かい。生きてる人間に入れ込むとあとがツライっての分かってんのかね。 あのゴリラは平気で命捨てそうじゃん、お前らのためとか言って」

「ダンナ、あんた寂しいんですかい」

近藤さんに惚れてるってことは、近藤さんが生きてても死んでしまっても俺のこころは どこまでも近藤さんのものってことなんですよ。
だから俺たちはいつも覚悟してやす。
自分が死ぬことも、近藤さんが死ぬことも。
そして死んでも近藤さんに全てを捧げるってねィ。
空恐ろしさはありますぜ、でも寂しいなんてことは、近藤さんに会ってから一度だって ありゃしねえ。


「そんなのあいつが生きてるから言えるんだろーが」


もう行ってしまった小柄な制服姿の後ろに向かって呟いても聞こえるとは思わなかった。


「寂しいのかなあ、銀サンは」


もう一度ごろりと寝転がると、空はさっきより明るい水色となって広がっている。
薄い銀色にぼやけた地平線、中空に近づくほど澄んだ水色。


(一度何もかもを失ってしまったとき、もう寂しさとは付き合わずに済むと思った。 でもまた色んなものを抱え込んで、人の温もりを知って、寂しさに冒されていく)


「大人ってめんどくせーなあ。沖田くんの若さがうらやましー」


もう眠れそうにないので起き上がって帰ることにした。
新八と神楽と定春が待ってる。
それに、また近藤にも会えるだろう。
うるさいマヨラーや物騒なガキがうろちょろしても別にいい。

またここに昼寝に来よう。
起こしてくれる誰かの温かな手を待ちながら。




(終)



 

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心の友(一方的に)のみどりさんから頂きました。
読み終えた後に目を瞑ると銀色の波が心の奥でひたひたしているような気になる絶品でございまする。
銀さんと近藤さんのちょいと大人なかけあいが胸にしみますねー。
温かいような切ないような話が好物でして、何回読んでもいいなぁ。多謝!みどりさん