突然、闇の中から出てきた手を、こいつはどう思ったんだろうか?
キミニゼツボウヲ
月の綺麗な夜だった。
かねてから俺が厄介になっている商人が、真選組呼んで一騒ぎやっている。という話を聞いたので、俺は様子見に、ふらりと裏口からその屋敷に失礼した。この商人とは懇意にしていたので、この屋敷の事は大体わかる。勝手知ったる場所だ、どこに潜めば、人目に付かないかなんて、考える程のこともなかった。俺は、宴会に使われているだろう大部屋と厠をつないでいる廊下の、曲がり角にある小部屋を選んでそこに身を潜めた。
俺の潜んだ、6畳ほどの部屋は、今はまだ何も置かれていないが、物置かなにかなんだろう。三方を壁で囲まれていて、たった一つ明かり取りの高窓がついているだけのものだ。入り口は大部屋から一つ目の角を曲がった廊下に面している。部屋と部屋の間に取られた、ほんの数mのこの細い通路は、離れにある大部屋から、屋敷の中心へ行くためのショートカットコースで、厠にはこの廊下を通らないと行けないようになっていた。ここに居れば、酔った連中や、この家の女中なんかの喋り声で、おおよその事が解るだろう。おまけに、廊下は暗く、知らなければ、こんな所に部屋があるなんて気づく奴はまぁ居ない。普段、家人からも忘れられているような部屋だ。埃がうっすら積もってやがる。
この部屋の入り口は襖で、高窓から差し込む月の光だけが僅かな光源だった。
しかしせっかくの月が台無しだ。
今夜はいい月だったのによォ。なんて事を思いながら、俺は、ほんの少しだけ襖をあけ、壁に、もたれかかった。
30分もそうしていただろうか。それだけで、大体の事が掴めた。真選組は完全に浮かれ気分で(相変わらず目出度ェ奴らだ)、随分と大きな声で、色々な事をベラベラと喋ってくれた。
どうやら、屋敷の主は、此間から折り合いの良くなかった浪士どもを、真選組に始末させたらしかった。爺、なかなかあくどい奴だ。そうしておけば、疑いの目を向けられる事も少なくなる。実は裏で、密輸に関わってるってェのにな。
まぁ、そういう俺も、ここの主には、世話になっている。俺たちを裏切るってェわけでもなさそうだし、下手に事を荒立てるのも馬鹿な話だ。
そう思って、そろそろ帰ろうと、腰を上げかけた時、俺は、聞き覚えのある下手な鼻歌に気が付いた。
近藤だ。
足音は、一つ。
思わず頬が緩む。
予定変更だ。少しからかってやろう。
音を立てないように、襖を半分ほど開け、息を潜めた。そっと様子を伺う。暢気な髭の男は、これからおこる事なんて、知る由もなく、半音外れた歌を歌っていた。相当飲んだんだろう。足元が覚束無い。
近藤が、廊下を曲がる。俺は闇から手を伸ばした。油断と隙だらけの近藤の腕を、一度強く引っ張って、バランスを崩させ、よろけた奴の口を塞ぎ、抜刀しようとした手を押さえ込んで、この暗い部屋に引きずり込んだ。
突然、闇の中から出てきた手を、こいつはどう思ったんだろうか?
部屋の中央に投げ飛ばして、襖を閉める。
酒に酔って覚束無い頭では、今自分に起きた状況を直ぐには理解できないんだろうな。
よろけながらも立ち上がり、半ば本能で戦おうとした近藤の刀を、蹴り飛ばして、俺は低く笑った。
近藤の顔が不味いといった風に歪んだ。
「いい顔だ。最高にセクシーだぜ」
月明かりの下で、俺の声を聞いた近藤の体がビクリと反応した。さっきよりも用心深く間合いを計って、ここから脱しようとする気配を感じた。
俺は少し嬉しくなる。そう、それでこそ遊び甲斐があるってもんだ。
じりじりと移動する近藤を目の端で捕らえ、からかいに、わざと近藤に出口の場所を悟らせてやる。
酔った頭でどこまでわかっているかはわからないが、これで中々戦闘センスのある男だ。俺が一瞬向けた出入り口への注意に気づいたようだった。顔がニヤけるのを押さえられない。この男は素面の時でも、騙され易い男だから、きっと俺の思ったように動くだろう。
じりじりと、緊張のままに出口に近づき、俺の隙をさぐっているのが手に取るようにわかった。所詮は酔っ払いだ。そっと一瞬近藤から目を離してやると近藤の動きが機敏になった。彼の手が襖にかかった瞬間に、襟首を引っ張り、足を払い、近藤を再び部屋の中央に投げた。襖は、開かないようにつっかえ棒をしておいたのだ。仰向けに倒した近藤の上に、俺は座った。足で、奴の両腕の付根を押さえ込み、胸の上に座りなおすと、ウッと一度、近藤が低く呻く。奴の顔が再び歪んで、俺は、俺を睨みつけた視線の中に困惑を見た。
少しの間沈黙があった。
ニヤリ笑って、近藤を見る俺にむかって奴はキツイ視線をよこしてくる。
けれども、おかしなことに、近藤は、やがて、諦めたように視線を逸らした。
酒のせいだろうか、意外な事に近藤は、それきり抵抗してこない。いつもなら、噛み付かんばかりの敵意を剥き出しにして、いつまでも睨み付けてくるはずなのに。その面も、今日はさっさと横を向いたままだった。
つまんねーな
つまんねーよ近藤
俺が誰だか解らないわけでもあるまい。記憶でも飛んだか?
「ヨォ、近藤。元気か?」
「ああ、お蔭様で」
声をかけると、近藤はこちらを向いた。
驚くべき事に、とても静かな目をしていた。
酔っているからなのか?それとも本当に俺のことが解っていないのか?
部屋、暗いからか?
だが、こいつは俺の声を聞いた瞬間に、確かに体を強張らせた。高窓から差し込む月明かりは、心許無いものだが、それでも、至近距離にいる相手の面拝むには事欠かない。
「お前、俺が誰だかわかってんのか?」
触れるか触れないかぐらいまで顔を近づけて、近藤に問う。奴は酒臭かった。
少しの間沈黙があって、近藤から答えがあった。
「わかってる。死神だろ?」
今度は、近藤、目を逸らさない。答えた声は、聞いた事の無い静かな声だった。
「なんだ。よーくわかってんじゃねぇか」
「俺から、仲間を、友を、奪っていった」
「ああ、残念だよ。本当は真選組(おまえら)丸ごと潰したかったんだがな」
言い終わるか終わらないかのタイミングで足の裏に力をいれた。
面白くない。
近藤はもう一度低く呻いた。けれども、瞳は真っ直ぐにこちらを向いている。
つまんねーな。つまんねーよ近藤。お前。
聞いたぜ、アイツの最期。
ったくこのお人好しが。
「なぁお前、俺が、裏で糸引いてるってよくわかったな」
「人の弱みにつけこむのが巧いからな。お前は」
ふざけた事に、ただ無抵抗で、俺を真っ直ぐに見つめる近藤の目は、悲しかった。
この男の魂は、本心から、あの男のために泣いている。ということが、手に取るように解る。
「お前は、愚かだな」
言うつもりのない言葉が、俺の口からもれた。
「ああ、全くだ」
悲しい目の近藤は、悲しいままに悲しい声で同意する。
万斎の奴、まさかこんな曲に聞き惚れたっていうんじゃねーだろうな。
しかし、さっきまでいやに暢気だったのはこういうことか。まったく馬鹿な男だ。
「なぁお前、次は何を奪う?俺の命か?」
こいつ、俺が「そうだ」と言ったらどうする気だ?
「命を奪うのか」と問うておいて、その目には恐怖はない。あるのはただ、剥き出しの悲しみだけだった。
俺も、舐められたもんだ。
「まさか。お楽しみは最後にとっておくさ」
口角を吊り上げて、奴の目を見返してやった。舌なめずりすると、近藤は不快そうに顔をしかめた。
「お前が、絶望した顔は、さぞかしそそるだろうな」
「それが、お前の望みか」
「それもいい。という話だ。そうなったら俺が飼ってやるからな。毎日可愛がってやるぜ」
顎に手をかけて、上を向かせた。反対の指で、露になった喉仏をなでる。
しかし近藤は、無抵抗だった。
挑発に乗ってこない近藤なんて。全く、面白くもなんとも無い。
「今は・・・」
搾り出すようにして、近藤が声をだす。月明かりに照らされた近藤の首はやけに艶かしかった。
「今は、どうなんだ?」
「あ?」
そんな風に、真っ直ぐに、俺を見つめることができる男が、絶望してるか。だって?
「冗談。その程度の面じゃ、勃ちもしねーよ」
悲しみが、近藤の痛覚を鈍くしているのだろうか。
今、お前は、窮地に立たされているんだぜ。
お前はお前の身の無事だけ考えりゃいいだろーに。
「お前は、一体、どれだけのものを、俺から奪う気なんだ?」
イライラする。
「言っておくがなァ近藤。先に俺たちから何もかも奪っていったのは、お前さんがお使えする幕府だ」
本当は、ほんの少し、からかうだけのつもりだったが・・・悪いのはお前だからな。
「お前たちが、俺の前に立ちはだかる限り、俺は、お前から奪うさ。お前が心底絶望するまで奪いつくしてやるよ」
そんな目をして、俺を本気にさせたお前が悪い。
俺は、近藤の首筋に噛み付いた。
この男のように、真っ当な人間の悲しみを、幕府の高官どもが、ほんの少しでも持ち合わせていたなら、この国は違っただろうか。あるいは、この男のような真っ直ぐな強さを持ち合わせた攘夷の徒が、もっと居たなら、この国は、もう少しましなもんになっていたのか。
どちらにしろ、今ある国の姿が、全ての結果で、そして、こんな事ぐらいで自暴自棄になって自らの価値を見失うなんて、お前は愚かな男だよ。
「てめぇには、お仕置きがいるみたいだなぁ」
俺は、もう一度笑った。
近藤はやはり悲しい目をしていた。
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ルパンがとっつぁんを好きみたいに、高杉も近藤さんのこと好きだったらいいのにというかもっと狂気染みた感じね
本当は高杉にお仕置きと言わせたかっただけだったのに
結局、裸にされたら立ち直れてない近藤さんというのも愛しい