貸し10(下)



多量の出血の所作で失神していた男の姿が隊士たちによって運ばれ見えなくなってようやく、土方さんの手が俺の腕から外れる。

やりきれない強い情が自分の腹の中で蠢いているのを感じたまま、俺は、恨めといった男の顔を見上げた。

「やけに落ちついてますね。土方さん」

「そうか?」

めんどくさそうに煙を吐いたこの人は、なぜか自分の腕を離した今になってこちらにチラリとも目をくれない。

「そうでさァ。近藤さんがあんな目に合って、報復を考えない土方さんなんて気味が悪ィ」
「その減らず口がそんなけ復活すりゃお前も大分落ち着いたな」
「そんなことねーですよ。恨む相手を変えただけですァ。どこぞの誰かさんが自分を恨めと言ったでしょ?」
「さーてな、誰かそんな事言ったか?」
「今更、しらばっくれても遅いってもんでさァ。まずは手始めに屯所中のマヨネーズを・・・」
「うぉぉーい!!マヨには手ぇ出すなっ」



(土方さんの、左手、握り拳、奮えている・・・)


沈黙が二人を数秒の間支配する。



「総悟。これは"戦"で、敵さんも遊びじゃねーんだ。卑怯だなんて言葉は生きるか死ぬかの世界じゃなんの意味も持たねぇ」

やがて噛み締めるように土方さんが煙とともに言葉を吐く。
その言葉は重く、地に、胸に沈んで、煙のように天に向かって昇っていきはしないのだ。

「近藤さんは局長だ。そして、あの人にはそれに見合うだけの覚悟がある。さっきも言ったように、戦場で頭の首が狙われるっていうのはどうしようもない常識なんだ。俺たちの大将はいつ何時だってあの人で、俺はあの人さえ守れればそれでいいと常々思ってる。だがよ、あの人は俺たちが守られれば自分の命なんてどうでもいいと思ってるんだよ。俺が何に変えてもアイツの命を守ることだけは譲れねーと思っているのと同様に、あん人は俺たちの幸せを守ることだけは譲れねーんだとよ」

そしてほんの少しの間だけとても幸福そうな顔をする。

「馬鹿な男だよ・・・。だから、総悟、お前も気をつけろ。人間性を失うような行動はその人を不幸にすると俺たちの大将は思ってるんだ。そしてそういう行動の引き金が自分だと知った時、メチャクチャに傷ついた顔をする。そういう人だ、近藤さんは」

ゆっくりと確認するように吐かれる言葉のその重たさ。
俺は近藤さんに年近い目の前の男に強い嫉妬を覚えた。


「いいかこれは戦なんだ。そして俺たちは侍なんだ」


土方さん。貴方は誰に対してその言葉を言い聞かせてるんですかィ。

そう嫌味のひとつでも言ってやろうかと息を吸い込んだその時に

「オイ山崎。コイツ連れて行ってくれ」

いつも最高に間の悪い山崎が通りかかった。

「あ、ハイ。沖田隊長大丈夫っすか?」
「ああ」

本当に間の悪い奴だなァと感心にも似た気持ちになって、なぜか不思議と逆らう気になれず、山崎に連れられる形でその場を後にした俺は、背中で、

「副長、沖田の奴、どんどんアンタに似てくるな」
「余計なお世話だハゲ。冗談でも止めてくれ」
という不名誉な会話を聞く。

「ハゲでも冗談でもねーよ」

これはスキンヘッドだと豪快に笑う声を聞きながら、やっぱりお前の頭はハゲ以外の何者でもねぇだろィ。と、心の中で突っ込みながら、俺は、この惨事の中で隊士たちが、割と冷静に、すこぶる馬鹿に、働けるのは、偏に近藤さんの無事を確認したからだと思った。









傷は浅くても流した血の量は多く、俺は不本意にも長い間寝込んでいたらしい―


そっと目をあけると、すぐ目の前に近藤さんの顔があった。

とても優しい目をしているのに、酷く怒った表情をしている。

けれども、まるで、泣いているようにも見える、その面で、近藤さんが、

「総悟」

と言う。

その語調の優しさが、「お妙さん」という単語を使うときのそれに似ていたので、小さく笑って、

「ヘイ」

と返事をすると、

「バカヤロウ」

という安堵の吐息と共に生れ落ちた雫が頬にあたった。

アナタの頬をつたうから温かいのか、それとも生れ落ちた瞬間にはすでに温かいのか、そこいらへんはよくわからないけれど、

とかくその雫が温かだったので

俺は自分がこの人を庇って負傷したことを思い出した。

そして土方さんの面と言葉も―


「ねェ、近藤さん。余計なお世話だって事わかってたんでさァ」

「ん?何がだ」

近藤さんの声はどこまでも優しく、どんな薬よりも効き目がある。と思い、

「だけど体が勝手に動いちまったんだから、許して下せェ」

負傷した左腕を伸ばして近藤さんの頬に触れ、その効力の絶大さを確認する。

言っても大したことねぇ傷だと、思ったその瞬間に、近藤さんの眉毛がハノ字に下がったので、ズキリと、痛んだのは、負傷した左腕ではなく心だった。

この人に涙を流させるようではまだ甘い。

もっと強くなりたい・・・

そう思って、小さく唇を噛みしめた自分の頭に、近藤さんの大きな手が触れる。

「総悟。お前がいなければ命が無かったかもしれない。本当に助かったと思ってるぞ。だけど、やっぱりな、お前達が怪我をする方が、自分の身が傷つくより、よっぽど辛い」

まったくもって誰かさんの予想通りの反応でさァ。と、少し拗ねたような気持ちになりながら、

「その言葉そっくりそのまま返しまさァ」

腕を布団の中に戻して笑う。

「近藤さんを守るためなら腕の一本や二本・・・ケチケチしませんゼィ」

天井を見据えてそう言った自分の声が、やけに大きく響いて、
その滑稽さにニヤリと笑みを浮かべかけた時、自分を覗き込む男の目から、また雫が生まれたのに気付いて、それに驚いて、俺は、思わず、口をぽかんと開けた。


「だから涙がでるんじゃないか」


その言葉で、この人はどうしようもないお人好しだったと、思い出し、

「おや、いい大人が泣くのは俺のせいですかィ?」

と、どうしようもなくなって自分は笑う。

「そうだ。貸し1だからな」

近藤さんがあまりにもはっきりそういい切ったので、涙を拭う男を見上げながら、自分は、そんなことを言ったら、蛙騒動の時のアンタは皆に貸し10だ。と言うべきかどうかを悩む。





 

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真選組は皆格好イイ。という妄想。
沖田さんは割と皆に大事にされてるといい